能登半島地震による土砂崩れで家族と親戚あわせて10人を亡くした寺本直之さん。地震から2年の節目を迎えた元日、寺本さんは穴水町の現場を訪れ花を手向けた。
「お父さん来たよ」
2026年元日、寺本直之さんは穴水町由比ヶ丘の土砂崩れ現場を訪れた。「お前らずっと空で見てるのか。お父さん来たよ」

2024年元日、妻・弘美さんの実家がある穴水町由比ケ丘では地震による大規模な土砂崩れが発生。帰省していた妻・弘美さん、長男・琉聖さん、次男・駿希さん、三男・京弥さん、長女・美緒寧さん、さらに妻の両親、義弟夫婦とその子どもの計10人が犠牲になった。
寺本さんは元日、金沢での仕事を終えてから穴水へ向かい家族と正月を過ごす予定だったが、叶うことはなかった。当時の捜索現場でカメラの前に立った寺本さんは「何なんですかこれ。なんで私がこんなことにならないといけないのかなって。それも1日違いで生と死との境界線って何なんですかね。それはこの地震が悪いんですかね。地震がみんなを奪ったんですかね」と吐露していた。
家族の遺品とともに
寺本さんは地震の後すぐに、妻や子どもたちと暮らしていた家から引っ越し、今は金沢市内の実家で妹と生活している。「ここで寝ているんですけど。みんな全部遺品です」

家族との写真や息子が身に着けていた時計。家族で暮らした家に残っていたものだ。中には娘が来ていた学校の制服も。「これに袖を通すことはないんだなって思ったときに感情がバーッと出てくる。涙が出てくるというか」

地震の後、寺本さんを待っていたのは葬儀の手続きや行政への届け出。悲しむ間もない現実だった。「悲しいけれども亡くなった家族が友人とかに見届けてもらった状態で天国にいけるのであれば、私は幸せかなと。悲しんでいる暇なんて全然ないし、これは俺の仕事かなと」
家族の生きた証を残したい
妻と息子の勤務先や娘が通った学校を訪ね、一つずつ手続きを進めていった。「仕事の様子を聞けたり、美緒寧に関しても学校での様子とかそんなのを聞いていくことで、少し気持ちが晴れてくるという部分があったのかもしれない」

2025年の元日は気持ちの整理ができず、花を手向けることができなかったという寺本さん。「安らかにこの場で、この地でいてほしいなという気持ちで花を手向けさせてもらった」全壊した家の跡地は2025年9月に公費解体を終えた。「家のまわりや風景。若かりし頃、結婚した当時よく行ったし、そういうことを思うと苦しいよね」

寺本さんはここに家族や親族の生きた証を残したいと考えている。「やっぱり慰霊碑を建てたい 。あそこで亡くなっているというのを私も見ているし。上野家(妻の実家)があった過去を無くしてほしくない。だから形的に残したい」大切な命を一度に奪った大地震。寺本さんは今、その重い現実から目を背けずに日々を生きている。
(石川テレビ)
