信州の年越しです。年末年始に欠かせないのが「年取り魚」。一般的に東北信は「サケ」、中南信は「ブリ」と言われています。ただ、地域によっては「コイ」や「イワシ」を食べる風習も。信州の「年取り魚」を取材しました。
■「年取り魚」はサケ?ブリ?
信州の「お年取り」。NBSスタッフの大みそかの食卓には「おせち料理」のほか、縁起物の「年取り魚」が並びました。
「年取り魚」は東日本が「サケ」、西日本が「ブリ」。長野県がその境目と言われています。
(リポート)
「こちらはアレンジメニューのサケのクリーム煮です」
NBSスタッフも「サケ」を食べる家、「ブリ」を食べる家、両方食べる家とさまざまでした。
ただ、一般的には東北信は「サケ」、中南信は「ブリ」と言われています。
その理由は?
食文化に詳しい・中沢弥子県立大教授:
「東信・北信は千曲川、サケが遡上していた。だから、本当に昔から地元で取れるものを加工して、そういうものが大事にされてきた。(中南信の)ブリは日本海の方で『塩ブリ』にして千国街道(塩の道)だったりを通ってやってきて、正月の市が立って松本、それから伊那の方や木曽の方にっていうところがあります」
■「年取り魚」がコイの地域も
面積が広い長野県。サケ・ブリ以外の「年取り魚」もあります。
佐久地域は特産の「コイ」です。
江戸時代に養殖が始まった「佐久鯉」。ハレの日のごちそうとして親しまれ、「お年取り」の定番になっています。
佐久市農村生活マイスター・長岡のり子さん:
「必ず31日のお年取りにはコイを食べる。それがもう昔から伝わっている伝統」
しかし、最近は調理の仕方が分からないという声も多く、市は食文化を残そうと年末に料理講習会を開きました。
「うま煮」と「あら汁」を調理―。
参加者:
「少し骨が多かったけど、いつも食べる魚よりもおいしくて、臭みがなくて良かった」
参加者:
「年末は実家に持って帰って料理して親にも食べさせたい」
佐久市農村生活マイスター・長岡のり子さん:
「これ(食文化)が続いて次の代、次の代となっていけばうれしい」
千曲市のスタッフの家でも「コイ」が―。
■神棚に「イワシ」を供える風習も
伊那市出身の重盛赳男アナウンサーの実家の「年取り魚」は「ブリ」ですが―。
重盛アナウンサー:
「伊那市の実家に帰省しています。重盛家では大みそかに『イワシ』を神棚などに供えます」
「それでは、イワシを神棚に供えます。今年1年間ありがとうございました」
「イワシ」も正月に食べています。
干しイワシを大みそかから正月にかけ神棚に供えた後―。
重盛アナウンサー:
「1月4日の朝です。供えたイワシの焼き魚です」
焼いて食べます。
重盛アナウンサー:
「非常にシンプルな味付けでイワシのうまみとほのかな苦みを感じます。2026年もいい年になるといいですね」
社会人になってこのイワシの風習が「地域特有」だと知りました。
■スーパーにも数多くのイワシ
伊那市のスーパーを年の瀬の12月29日に取材すると、年取り魚のコーナーは大にぎわい。ブリはもちろんですが、イワシも数多く並んでいました。
伊那市民:
「年越しの時に神棚に供える」
「お皿に乗せて、お供えのお餅とイワシと飾りを一緒に。仏壇と床の間と神棚に。(なぜイワシを?)私にはわからないけど、代々ずっとやっているのでイワシをお供えします」
重盛アナウンサーの実家と同じように、上伊那では大みそかにイワシを神棚に供えるという人が多くいました。
ベルシャイン伊那店 鮮魚部門・五味沢邦明さん:
「ものによるが、(通常の)50倍〜100倍の量の仕入れになっています。25、26日からこのような食材を多く求められています」
■イワシを神棚に供える理由はー
なぜ、イワシを?
地元の郷土料理を調べ、普及活動も進める、伊那市の酒井さつきさんに聞きました。
郷土料理伝承家・酒井さつきさん:
「イワシは31日、神棚にあげるんですけど、邪気を払うという意味がある。節分の時も同じようにするが、“イワシの臭さ”、そういったものに悪いものが近寄りがたいと聞いたことがある」
さらに地理的な要因もあったのではと話します。
酒井さつきさん:
「この辺は山国ですから、新鮮な魚が入ってこない。だから干物にしたり、塩漬けにしたりしたものが入ってきていた。そういった意味で干物をあげるということがずっと習わしで続いている」
イワシは供えた後、焼いて食べることが多いということです。
■ブリの食べ方にも地域性
さて、もう一つの年取り魚「ブリ」も伊那ならではの食べ方が―。
ゆでたブリに砂糖や塩で味付けした酒粕をかけて食べるのが一般的です。
このほか、酒粕で煮込む「ブリの酒粕汁」も多く食べられているそうです。
酒井さつきさん:
「酒粕は防腐剤のような意味もあるでしょうし、この辺は米どころだから酒蔵が多かったという意味もあると思う」
■全国的には薄れてきた「年取り魚」
長野県立大の中沢教授によりますと、県の歴史や文化などを記した「長野県史」には信州の「年取り魚」はサケ・ブリ・イワシ・サンマ・マス・コイなどが記録され、調理方法もさまざまだったと話します。
長野県立大・中沢弥子教授:
「記録を見てるとブリを食べた、サケを食べたっていうだけじゃなく、マスかブリかサケかイワシを食べたとか、併記されている。その年の都合だったり、その年のいろいろな事情だったりで選ばれてきたこともあるので。そういった魚が各地域から届き、家庭の経済状況に合わせ、海の魚をお頭付きで家族で食べよう、伊那・飯田あたりでは(正月)3日目だったり6日目だったりにサケやブリではなく違う魚をっていうので、こう食べる風習がちゃんと根付いていらっしゃったんじゃないかなと思うところです」
そして、今も地域に根付いているのは県内の流通・販売に携わる人たちの力が大きいと話します。
長野県立大・中沢弥子教授:
「海のものを何とかして家族で楽しくいただかれていたんだな、召し上がっていたんだなっていう記録が『県史』からは考えられるところで、それが今に続いていてスーパーマーケットとか魚屋さんとかが大事にしていないと途絶えてしまうので、私自身は流通の方たちや販売の方たちがその文化を大事にしてるからこそ残ってきたっていうのも感じています」
中沢教授によりますと、そもそも「年取り魚」を食べる風習が全国的には薄れてきているということです。海なし県・信州で地域ごとに大事にされている「年取り魚」。中沢教授は長く受け継がれてほしいと話しています。