神戸市北区で殺害された男子高校生・堤将太さん(当時16歳)の遺族が、加害者の元少年とその両親の責任を問うために起こした民事裁判で、元少年が事件直後に転居したことについて、尋問で「事件から逃げたかった」と話し、家族には「『自分が犯人かもしれない』と伝えた」と認めたことがわかりました。
また元少年はこの民事裁判の中で堤さんや遺族に謝罪の言葉を口にしたものの、2023年に開かれた刑事裁判とほぼ同じ言葉だったということです。
堤さんの父・敏さんは「刑事裁判のときに言ったのと同じ言葉をメモを読み上げるように謝罪の言葉を述べていました。これは謝罪じゃないとしか思いませんでした」と訴えました。
裁判は26日結審し、2026年3月19日に判決が言い渡されます。
■事件から11年後に当時17歳の元少年が逮捕 懲役18年が確定
高校2年だった堤将太さん(当時16歳)は2010年10月、ナイフで何度も刺されて殺害されました。
捜査は難航し、事件からおよそ11年後の2021年8月、事件当時17歳だった元少年(現在・32歳)が逮捕されました。
元少年は少年法が適用されたため、名前や顔などが明かされることはありませんでした。
そして刑事裁判では殺意を否認し、「精神障害があった」などと主張しましたが、1審の神戸地裁は殺意を認定し、精神障害はなかったと判断して、懲役18年の判決を言い渡しました。
この判決は大阪高裁への控訴、最高裁判所への上告も棄却され、確定しています。
■賠償命令に不服申し立て民事裁判 尋問で事件後の転居は「事件から逃げたかった」
刑事裁判を経て元少年にはおよそ9300万円の賠償が命じられましたが、これに不服を申し立てたため、堤さんの遺族は元少年に事件の責任を、両親に監督責任などを問う民事裁判を起こしていました。
この裁判で2025年11月、非公開で元少年への尋問が行われ、関係者によるとその中で元少年が事件直後に千葉県に転居した際、兄を通じて両親に「自分が犯人かもしれない」と伝えたと認めたことがわかりました。
【元少年側代理人弁護士】「お父さんかお母さんに、この事件の犯人が自分かもしれないと言った記憶はありますか?」
【元少年】「はい、あります」
【元少年側代理人弁護士】「お父さんかお母さんに言ってますか、直接」
【元少年】「直接言ったかどうか分かりません」
【元少年側代理人弁護士】「お兄さんには直接言ってますか」
【元少年】「はい」
また元少年は尋問で転居の理由について「事件から逃げたかった」と話していて、遺族側の代理人弁護士は「親も自分の息子が事件に関わってる可能性が少なくとも相当高いということがわかりつつ転居していることの裏付けになるのではないか」と述べました。
■謝罪の言葉は「おととしの刑事裁判とほぼ同じ」
また元少年は尋問で堤さんに謝罪の言葉を口にしたものの、おととしの刑事裁判とほぼ同じ言葉だったということです。
【元少年(2023年の刑事裁判より)】「経験できたであろう、将来のいいことも悪いことも全部自分のせいで断たれてしまった」「被害者からすべてを奪ってしまった。申し訳ありません」
【元少年(今回の尋問より)】「これから経験するであろう、あったはずの楽しいこと、うれしいこと、すべてを奪ってしまいました」
堤将太さんの父・敏さんは、この言葉について怒りを覚えたと話し、次のように記者会見で訴えました。
【堤さんの父・敏さん】「刑事裁判のときに言ったのと同じ言葉をメモを読み上げるように謝罪の言葉を述べていました。心からの謝罪とは決して受け止められるものではなかったです」
堤さんによると、元少年は遺族の方に目を向けることすらなく、上を向いてこの言葉を口にしたということです。
【堤さんの父・敏さん】「これは謝罪じゃないとしか思いませんでした。民事裁判を通じて被害者や遺族を冒とくしている、裁判自体を冒とくしているとしか思えないような経過だったと思います」
事件の責任を元少年はどう受け止めているのでしょうか。