2025年の佐賀をテーマごとに振り返るシリーズ。26日は、今年惜しまれながら亡くなった県内の関係者の功績を振り返ります。
【井上萬二さん】
「先人たちの伝えてきた技術を完全に習得して、その上に現代の自分の発想で描いていくのが作品ですから、それが伝統となっていく」
ことし7月、96歳で亡くなった白磁の人間国宝・井上萬二さん。
有田町の窯元の家に生まれ十二代酒井田柿右衛門や、ろくろの名人とうたわれた奥川忠右衛門に師事し技術を磨きました。
そして1995年「白磁」の重要無形文化財保持者、いわゆる「人間国宝」の認定を受けました。
【井上萬二さん】
「白磁というのは、ただ白だから白磁ではないんです。私に言わせたら形がいいから白磁で残すんだ」
年を重ねてもなお制作への意欲が落ちることはありませんでした。
【井上萬二さん】
「3月がきたら92歳になります。歳だと思ったら作品も枯れるし、自分自身も枯れてくるから俺は歳だと思わないでいつまでも現役で万年少年じゃないとだめなんです」
今年9月に開かれた町葬では多くの人が井上さんを偲びました。
その人柄や美しい形状の作品は私たちの心に残り続けます。
【志村康さん】
「家族の方が『私のきょうだいはハンセン病でした』それが言える社会になってほしい」
講演活動などを通じハンセン病問題の啓発に尽力してきた志村康さん。
ことし5月に92歳で亡くなりました。
志村さんは1933年に佐賀市に生まれ、15歳で「ハンセン病」と診断され、熊本県の国立療養所に入所しました。
1998年に提訴しのちに勝訴判決が出たらい予防法違憲国賠訴訟の最初の原告団の1人でその後も全国原告協議会会長に就任。
ハンセン病問題の啓発に尽力しました。
【仲代達矢さん】
ことし11月に亡くなった俳優・仲代達矢さん。
鳥栖小学校にあったピアノを特攻隊員が演奏したエピソードをもとに制作された映画「月光の夏」に出演しました。
また、多久市を拠点に活躍した時代小説作家・滝口康彦さんの記念碑が完成した際には映画に主演した縁で除幕式に出席しました。
【仲代達矢さん】
「滝口先生は私にとって恩人みたいなもので私自身先生をしたってここに来ました。きっと先生は照れながら喜んでらっしゃると思います」
佐賀市富士町で長年開かれている古湯映画祭にもゲストとして招かれ地元の人とも交流していました。
【佐賀市富士支所総務・地域振興グループ 西岡高弘さん】
「懇親会をしたが、みんな仲代さんは大御所というイメージがあるが気さくなかたで懇親会の時にラップを披露した。以前は仲代達矢さんの特集もしたのでもう一度古湯の映画祭で会いたかったなというのが一番強い」
今年2月、99歳で亡くなった服飾デザイナー、谷口緑さん。
佐賀市に服飾専門学校を創立し、多くの卒業生を輩出した一方、佐賀を代表するデザイナーとして活躍しました。
2010年、学校の創立65周年を記念したファッションショー。
ショーを締めくくる最後のあいさつでは佐賀や教え子たちに感謝の気持ちを込めました。
【谷口緑さん】
「今後も佐賀の中のエレガンスというものを守り継いで生活の中に少しでもゆとりを持たせるのに私たちの一針が役立てばと思ってお礼の言葉に代えたい」
「デザイナーとしての幸せを感じる」と話すのは何気ない日常の一コマでした。
【谷口緑さん】
「心に合わせた洋服が一番幸せで素敵。それを着られて本人がニコニコ歩いていらっしゃる方がたくさんいる。それを見ただけで何か幸せになる」