一枚の写真から街を再発見する「兵動大樹の今昔さんぽ」。今回は、大阪のJR京橋駅前からスタートです。

【兵動大樹さん】「もうこの周りはもう安くて美味しいもんいっぱいあるね。もう商店街がたくさんあったり、京阪にすぐ乗り継ぎできたりするし。アクセス最高で、下町感が残っている」

■大正13年に大阪都島区で撮影された写真

この日、兵動さんが受け取ったのは1924年(大正13年)に大阪都島区で撮影されたという古い写真。写真には和風建築の縁側と、そこに座る人物が写っています。

【兵動大樹さん】「どういうこと?これ。お寺かな。ただ、この方は何なんやみたいな。家があって、横でなんかこっちを見ている…テンションめっちゃ低そうな方が座ってる」

■聞き込み開始前に「ほろ酔いセット」を堪能する兵動さん

聞き込みを始めようとした兵動さんでしたが、ある看板に足を止めます。

【兵動大樹さん】「さすが京橋やで。京橋価格や。見てみな、これ。ほろ酔いセット、ビールか日本酒と、お刺身3種盛り、お寿司4巻ついて1280円(税込み・午後3時~午後5時限定)」

思わず立ち寄った居酒屋で「ほろ酔いセット」を堪能した兵動さん。マグロの刺身を口に入れながら満足げな表情を見せます。

【兵動大樹さん】「口の温度で溶けていくもんね」

ほろ酔いセットを堪能した後は、本来の目的である写真の場所探しへ。

■大長寺で発見!江戸時代からの歴史

東野田の交差点へ移動した兵動さんは、「大長寺」という寺を訪問。実は1605年、江戸時代初期から続くお寺だと判明しました。

【大長寺の住職の子息・西田さん】「元は昔の太閤園とか、今まだある藤田美術館とか、あの辺りにありまして」

西田さんによると、大長寺は明治時代の終わりに現在の場所に移転してきたそうです。写真に写っている建物は、このお寺ではないと判明。しかし「藤田美術館」という名前が手がかりとして浮かび上がりました。

■藤田美術館へ!驚きの事実が明らかに

「藤田美術館」と聞いて、そちらへ足を向ける兵動さん。太閤園の近くに位置する由緒ある美術館です。

美術館内には500円でお茶と団子が楽しめるスペースがあり、兵動さんはまたもや食の誘惑に負けます。

【兵動大樹さん】「うわ、美味しい。めっちゃ美味しいですね。弾力が気持ちいい」

お茶と団子を堪能した後、学芸員の方に写真について尋ねると...

【学芸員・國井さん】「これは東館で間違いないと思います。写ってはる方、この2人がまさにこの美術館のコレクションを作った2人に間違いないと思います。藤田財閥2代目の藤田平太郎だと思います」

なんと写真は、藤田財閥の創設者・藤田伝三郎の13回忌の様子だったのです。

■国宝が9点も!美術館の至宝を拝見

藤田伝三郎は建設土木、電力開発、鉄道、金融などの経営を手がけた実業家。五代友厚と共に大阪商工会議所を設立し、関西財界の巨頭として活躍しました。同時に美術品の収集家としても知られています。

美術館には国宝が9点も所蔵されているとのこと。中でも「曜変天目茶碗」は世界で3つしかなく、すべて日本に現存するという貴重な品です。

【学芸員・國井さん】「青色がなかなか出ないのに、この綺麗な青が出てるのが世界で3つしかないんです。しかも中国には1点もなくって、全て日本で今残されています」

【兵動大樹さん】「3つしかないねんて。中国にもないねんて」

【学芸員・國井さん】「購入した先は水戸徳川家です。元々は徳川家康の所蔵品だったものを、オークションに出した時に藤田平太郎が手を上げて買ったという」


■建物は大正13年に高野山から藤田邸に移築されたものだった

最後に、写真に写っていた場所へ案内してもらいます。建物は、大正13年に高野山から藤田邸に移築した「多宝塔」で、写真撮影当時の面影を残していました。

写真が撮影された当時の「多宝塔」の場所は、現在の茶室がある場所だということです。

【兵動大樹さん】「藤田さんという大富豪と言ってもいいぐらい。その方が当時集めた作品、これは後世に残さないといけないという作品がまさに今見られます。あと、抹茶とお団子も最高ですね」

今回は一枚の古い写真から、意外な形で大阪財界の歴史と美術品コレクションの素晴らしさを知る旅となりました。

(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2025年12月12日放送)

関西テレビ
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