島根県出雲市の一級建築士の高齢男性が、自宅の裏山に手作りのアスレチック場を完成させました。
設計から建設まで、ほぼ1人で作り上げた大がかりな遊び場。
原動力は「妻への愛」でした。
出雲市所原町。
青木美範さん:
健康のために作った大人も子どもも遊べるチャレンジ広場という名前の遊び場です。
自宅の裏山にアスレチック場を作った一級建築士の青木美範さん、77歳。
青木美範さん:
100メートルコースと、ぐるっと回って200メートルコースのスタート地点です。
まずは自慢の遊び場を紹介してもらいました。
青木美範さん:
いろんな配置をしたのは全部、自分でやったんです。
数十メートルの坂を登ると見えてきたのがいくつもの建物。
急斜面を切り開き、整地から設計・施工まで、すべてほぼ1人でやり切りました。
2人乗り、または1人乗りのブランコ。
「ブランコや…よっしっかりしてますね、ぶら下がり棒。」
さらには、すべり台まで。
お手製の遊具がいくつも設置されています。
さらに登っていくと、一番上は高さ30メートルの展望台!
周辺を一望できます。
青木さんがこうした遊び場を自作したのは今回が初めてではありません。
今から3年半前…。
福村翔平記者:
すごい木の上に建ってます。まさにツリーハウスですね。1畳ぐらいの広さがあります。
自宅の庭先の木の上にツリーハウスを2棟建設!
自分のくつろぎスペースとしての活用だけではなく近所の子どもたちにも開放し、地元のちょっとした名所として評判になりました。
このツリーハウスには特別な思いを込めていました。
青木美範さん:
なんかして気を紛らわさんことには大変だったですからね。
水害からの気を紛らわす手段だった。
ツリーハウス建設の前の年に豪雨災害で自宅が半壊する被害に…。
それでも、いつまでも沈んだ気持ちではいられないと一念発起。
一級建築士としてのノウハウを駆使して1人で作り上げました。
今回、大がかりなアスレチック場を作り、自宅の遊び場をさらに進化させた青木さん。
ツリーハウス建設の時とはまた違う、新たな原動力がありました。
青木美範さん:
妻も大変だから自分も大変なことぐらいして、お互いを元気づけようというような形でやり始めた。
数年前、53年間連れ添う妻の澄江さんが白血病を発症し、余命1年と宣告されました。
。
「自分が頑張ることで闘病中の妻を勇気づけたい」
「妻への愛」が青木さんを突き動かしました。
本業の合間を縫って、夏の暑い日も雪の日も関係なく作業を続け、10か月かけて完成させました。
青木美範さん:
こっちが頑張っていることは妻もよく分かっているから、自分も元気にならんといけんという気はなっていると思う。
青木さんの思いが届いたのか、澄江さんの病状は回復。
退院して自宅療養に切り替わるまでになりました。
Q.アスレチックが元気になった要因?
青木美範さん:
間違いなく、それが要因のひとつ。
私が一緒にゴロゴロしていたら妻も同じ気持ちになると思う。
「愛の結晶」とも言うべきアスレチック場は完成から1か月が経ち、時折近くの幼稚園の園児が訪れるなど今では地元の人気スポットになっています。
しかし実はまだ完成ではないといいます。
青木美範さん:
遠くが見える展望台を、もう少し上に作りたい。
それから右側は山の向こう側が見えるように道をつけたい。
何度も逆境に立ち向かう青木さんの創作意欲が尽きることはありません!
青木美範さん:
今のところ77歳だからといって年を取ったからできないなあという気持ちはないですよ。気分的には40代ですよ。