スピードスケートのシーズンが今日、10月23日いよいよ本格スタートする。
全日本距離別選手権。
世界のファンの誰もが認める冬季五輪の主役小平奈緒、髙木美帆ら錚々たるメンバーが、98年長野五輪の舞台となった「エムウェーブ」に顔をそろえる。

スポーツ界全体としては、1年延期になった東京五輪の行方が特に気になるところだが、次回冬季五輪(北京大会)も、実はあと1年余りに迫っている。
ウィンタースポーツのトップ選手たちにとって、五輪本番のシミュレーションを行う非常に大事なシーズンが、新型コロナウイルスに翻弄されている。
スピードスケートの国際大会は、ワールドカップ前半戦(11月~12月)の中止が決まった。
そんな中、国内開幕戦の開催にこぎ着けた背景には、徹底した感染防止対策と関係者の様々な工夫と協力があったことに触れておきたい。

「密」を避けるトレーニング環境

緊急事態宣言下の4月、スピードスケート選手は例年自主トレを行う期間である。
複数の選手が互いに協力して行うことが多いが、周囲との接触を極力減らし個別に行う傾向がみられた。
自宅ガレージをトレーニング場に転用した選手もいたと聞く。
またグループで行うのが効果的な自転車によるトレーニングは、5月一杯は個別で行われたという。

後述する帯広での合同練習なども、少人数に分けて行われることが多かった。
例えばウエイトトレーニングは3人以下のグループとし、広いトレーニングルームの両端に分かれて行われた。
今年12月に予定される全日本選手権の舞台である明治北海道十勝オーバルの旧管理棟(大会時プレスルームとして使用)を使うケースでは、「密」を避けるため、一度に6人(3人×2グループ)を限度とした。
練習時間帯も、9時半から「グループ1」、10時半から「グループ2」、などと区切り、全部で23人のナショナルチームの選手を入れ替えながら行った。

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トレーニングは長距離の移動も伴う。
例年選手は個別に移動するが、今年は感染対策のため、ナショナルチームの選手は全員一緒に移動した。
例えば帯広から長野県の菅平高原に移動する場合の経路はこうだ。
まず空路で羽田へ。
そこから、チャーターしたバスで菅平まで直行する。
人との接触が最小限になるよう配慮された経路だ。
因みに、連盟の役員等が移動する際も、選手以上に細心の注意を払った。
札幌から長野に移動するケースでは、感染者の多い東京・羽田を経由せず、札幌→(空路)→新潟→(上越新幹線)→高崎→(北陸新幹線)→長野、と移動したという。
時間は要するが、リスク軽減を最優先し判断したルートだったという。

ヘッドコーチ不在

ところで、ナショナルチームには、一つの難題があった。
ヘッドコーチは、ヨハン・デヴィット氏。ヨハンコーチは、平昌五輪で日本スピードスケートにメダル6個をもたらしたことなどが広く知られ、現在もナショナルチームを率いる。
彼は、3月の昨季最終戦となる国際大会を終えた後のオフ期間、家族のいるオランダに帰っていた。
しかしその後感染が世界的に拡大したため、予定していた5月10日に来日できなくなった。
もう一人、ナショナルチームコーチとして短距離選手を主に担当する、デニス・ヴァンデルガン氏も同様にオランダで足止めを食う。
ナショナルチームは、2人のリーダー不在でプレ五輪シーズンをスタートしなくてはならなくなった。
1年後の北京五輪でメダル獲得の期待が大きい日本のスピードスケート界だが、新型コロナに加え、もう一つハンディキャップを負っていたのである。

2018年世界選手権 髙木美帆とヨハン・デヴィット(写真:時事)

ナショナルチームの合同練習は、ヘッドコーチを欠いたまま、予定から約2週間遅れの6月に帯広で始まった。
ナショナルチームコーチとして中長距離選手を主に担当している糸川敏彦氏が急遽ヘッドコーチ代行となり、現場の指揮をとった。
トレーニングは、ヨハンコーチが決めたプランに沿って行われた。
オランダとの時差は7時間。
やり取りは多くの制約の下で行わざるを得ない。
ミーティングは、週1回のスタッフミーティング(水曜夜)、コーチミーティング(金曜夜)、更に選手個別のものなどを行い、正確な情報共有に努めた。
練習の様子は適宜録画され、ネットを介してヨハンコーチが動画をチェックし、現場にフィードバックする形をとった。

一方、ヨハン・デニス両コーチの実質的な来日手続きは6月下旬に始まった。
ナショナルチームは、7月26日から(8月12日まで)の網走合宿に両コーチが合流する方向で準備を進めた。
網走でのトレーニングは、10人を超える大人数で行うものや、より内容の濃いものがプログラムされている。
また合宿であるため生活全般の管理もチームとして必要になる。
そのような重要な場にヘッドコーチが合流できない状況は、誰もが避けたかったであろう。

しかし、事は現場の想い通りには進まず、来日手続きは予想以上に時間がかかった。
両コーチがオランダを出発できるのは、手続き開始から1ヵ月も後の7月30日であることがやがてわかる。
更に、翌31日に日本に到着した後も、PCR検査を経て、成田のホテルで更に2週間隔離生活を強いられるため、網走合宿には間に合わないことが明らかになった

この事態に対応するため、現場では、トレーニングは勿論、食事や生活面もサポートできるスタッフが、道内道外を問わず急遽集められた。
ヨハンコーチの通訳(日本人)にも関係者の一人として声がかかった。
いわば有事の“総動員”体制で、網走合宿を乗り切ることになったのである。
選手の宿泊は全員個室。24時間の感染対策を徹底し、食事はホテル限定。
食堂は、学校の教室のように全員同じ方向を向くレイアウトにし、料理は一人ずつ分けて配膳された。
一般の宿泊客等と接触しないよう、朝食であれば6時20分から7時など早めの時間帯に限定された。

トレーニングには、強度の強いものが含まれていた。
“強度が強い”とは、ウェイトやスクワットなどで「1回がやっと」というほど負荷を大きくしたものや、高速かつ長距離を走り切る自転車トレーニングなど、能力の限界を超えるような厳しいものである。
このようなトレーニングでは、怪我のリスクも大きいため、選手の状態のチェックが一層重要になる。
ヨハンコーチは、練習の様子を動画でチェックしたようだが、小さなニュアンスをとらえるのは容易ではない。
選手によっては、膝等に多少の違和感を訴えるケースもあったときく。

不十分な環境で、感染の不安とも戦いつつ細心の注意を払って行われた網走合宿だったが、幾多のハードルを越え、大過なく8月12日に終わる。
ヨハンヘッドコーチがチームに合流したのは、その3日後の8月15日、帯広。当初の予定から約3ヵ月が経っていた。

一番の負担は「不安」

今季のスピードスケートナショナルチームのトレーニングは、上記のように、理想にほど遠い環境で行われた印象である。
しかし、故障や感染リスクのすれすれのところで、攻めの姿勢を貫くことはできたように感じる。そんな中、選手やスタッフが工夫し協力する気持ちが醸成され、精神的にも鍛えられたのではないかと想像する。
目に見えない負担はみな相当大きかったはずだと話すスタッフもいた。
選手23人の中で1人でも感染者が出た場合、残る22人全員がPCR検査を受け、隔離生活が必要になり、全員トレーニングができなくなるからである。
自分が感染すると、即チーム全体の問題になる。
これはどのような競技、組織にも共通する心理であろう。

ここまでの内容は、あくまでナショナルチームの話であり、日本のスピードスケート界全体から見れば一つのエピソードにすぎない。
ただ、今季の全日本距離別選手権は、全ての選手や関係者が家庭内感染を防ぐ家族のように互いを気遣いながら、ようやくたどり着いた大会とも言える。
大会を迎える当事者の想いは、これまでに経験したことがない類いのものと推測される。

なお、前述のようにW杯前半戦が中止になったことで、代表クラスの選手は国内の大会に出場する可能性が出てきた。
国内大会が例年以上に盛り上がり、トップ選手の活躍に加え、思わぬ結果を出す若手選手も出てくるのでは・・・と、見る側として“こっそり期待“する気持ちも付記しておく。

「全日本スピードスケート距離別選手権2020」
10月25日(日)深夜1時55分~2時54分OA
(※一部地域を除く)

(フジテレビ報道キャスター・奥寺健)