2025年も残すところわずか3週間となった。毎年恒例の「今年の漢字」が12月12日、京都の清水寺で発表され、全国から最も多く寄せられたのは「熊」の字だった。各地の市街地に熊が出没し、人への被害が相次いだ世相を反映している。鹿児島県内でも、さまざまな災害や出来事を経験した人々が、それぞれの思いを一字に込めた。
群発地震に揺れた十島村—村長が選んだ「不」の字
2025年の鹿児島県は災害が相次いだ年でもあった。特に十島村では6月から地震が相次ぎ、悪石島では最大震度6弱を観測するなど、群発地震に見舞われた。幸いにもけが人は出なかったものの、収まらない地震に住民の疲労はピークに達し、十島村役場は住民のケアや島外避難対応に奔走した。

この困難な状況を指揮した久保源一郎村長は、2025年の漢字として「不」を選んだ。
「『不』になります。地震自体も不測の事態。一日に最高183回地震計が揺れた。住民は不安が最初に出てくる。不眠に伴うストレス。それぞれに不便をかこってきた。今年の反省を含めて何が足りなかったか、何が不足していたかを検討しなければならない」
村長の言葉からは、災害対応の最前線に立った者の責任感と、来年への課題が伝わってくる。
橋の通行止めから生まれた「幸」—地元店主の奮闘
大雨による被害も県内各地を襲った。姶良市では国道10号線にかかる網掛橋が8月の豪雨で川底が大きく削られ、3カ月にわたって通行止めとなった。人通りが途絶え、周辺の商店は深刻な打撃を受けた。

そんな逆境に立ち向かうため、地元店主たちは臨時通り会を結成。その会長を務めた川村吉一さんが選んだ漢字は「幸」だった。
「私の今年の漢字は、幸せの幸です。この辺の商店は絶体絶命の危機のピンチだったが、その時に幸福の黄色いハンカチのワンシーンをヒントに黄色い旗を立てた」と川村さん。その結果、「県内の人がたくさん応援して買い物してくれ、自分も通り会の会員も幸せな気持ちになれた」と振り返る。
川村さんは2026年に向け、「仕事もだが姶良市を盛り上げるために高校生とも協力して楽しくまちづくりに参加していきたい」と抱負を語った。
街の人々が選んだ2025年の漢字
鹿児島の街を歩く人々にも、今年の漢字を聞いてみた。
18歳になり自動車学校に通い始めた高校3年生は「挑」を選び、「忙しいことは楽しいことだと思って。挑むことの大切さを知ったので」と理由を語った。来年は「車」の字になるだろうと予測している。
子どもが教師への転職を決めた50代男性(学校事務員)は「職」を選択。「やっと肩の荷がおりた」と安堵の表情を見せた。「子供のいいところを伸ばすことのできる先生になってほしい」と期待を込めた。

ケーキ店で働くパティシエ(20代)は「幸」を選び、「多くのお客さんにケーキを渡すことができて幸せと笑顔をたくさん届けることができた」と話す。今後も「もっと技術をあげてお客さんにもっと幸せになってもらえるようなケーキを作りたい」と意欲を見せた。
一方、その友人は思いがけず「猫」を選択。「今年子猫を拾って犬派だったんですが猫派になった」と笑顔で語った。

協調性の大切さを感じた50代女性(会社員)は「和」を選び、軽音部に所属する男子学生(高校3年)は自分の弱さと向き合う年だったとして「気」を挙げた。「自分の弱いメンタルの部分をこれから強くしていく」と、シンガーソングライターを目指す決意を語った。
一文字に込められた思いは人それぞれだが、災害や困難を乗り越えてきた2025年を振り返りながらも、2026年への希望や展望を語る姿が印象的だった。災害の「不」から生まれた「幸」に象徴されるように、逆境から新たな一歩を踏み出そうとする鹿児島の人々の姿が浮かび上がる。
