ロシアによるウクライナ侵攻から3年半以上。ウクライナからの避難家族の受け入れなどの支援を行ってきた空手団体の代表の男性は今も交流を続けていて、先日、ウクライナを訪問し、うれしい再会を果たしました。男性は「戦争の終結」を願うとともに「日本人も改めて関心を持ってほしい」と話しています。
2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻。3年半以上たった今も戦争は続き、いまだ終結の兆しが見えません。
小沢隆さん:
「(ウクライナでは)戦争が日常化してしまった。いつ終わるのか分からない、めどが分からないということに対する一種の諦めがある」
こう語るのは、長野県飯田市に本部を置く「空手道禅道会」の首席師範・小沢隆さん(64)です。
小沢さんは10月末からウクライナを訪問。現地の空手大会に参加したほか、今も続く「戦禍」を自分の目で確かめました。
小沢隆さん:
「(戦災)孤児もいれば片親を亡くした子もいる。その人たちの生活支援ってわれわれができることは限界がありますけど、すごく必要」
ウクライナにも支部を置く禅道会。小沢さんは2022年、支部を通じて門下生とその家族9人を自身が住む高森町に避難させ、生活を支えました。
また、戦場で負傷した禅道会ウクライナ支部長のイゴール・ユカリチュクさんも受け入れました。
避難家族らはその後、帰国。ずっと気にかけていた小沢さんは、2023年秋にウクライナを訪問。避難家族らと再会しました。
撮影した人:
「核シェルターに来ています」
またホテルの下の核シェルターや攻撃を受けた建物、多くの兵士が眠る墓地なども訪れました。
小沢隆さん:
「(墓地では)泣くようなイメージじゃない人も泣き出してしまって、それを思うと国の悲しみがこちらに伝わってきて何とも言えない気持ちになった」
滞在中、何度も「空襲警報」が―。
小沢隆さん:
「毎日、毎日、こんなことが続けば住んでいる人は参っちゃうだろうな」
あれから2年。今も戦争が終わらない中、今年、小沢さんは再びウクライナへ行くことを決意しました。
小沢隆さん:
「まさか、ここまで戦争が長引くとは思っていなかった。支援をずっと継続してやってきたので、今の現地の様子を肌身で感じることも大切だなと」
10月31日に訪問。ポーランド・ワルシャワで禅道会ウクライナ支部長のイゴールさんと合流し、ウクライナ中部の都市ビンニツァへ。
まず、訪れたのはリハビリ専用の病院です。負傷した兵士が社会復帰を目指す施設ですが、運営資金やボランティアが足りていません。
小沢隆さん:
「武道から生まれた整体術がある。ボランティアに来て、リハビリする人に施すことは可能ですか?」
小沢さんは日本の指圧師による現地での技術指導や寄付金を募ることを決めました。すでに県の内外の2つの団体が参加する意思を示しているということです。
小沢隆さん:
「国を守るために負傷したサムライの精神を宿した人たちのけがなので、早く改善してほしい」
翌日は門下生たちに稽古もつけました。小沢さんを1人の少年が訪ねてきました。クズニェツォバ・ヴィタリさんです。
ヴィタリさんは、高森町に避難した家族の1人です。当時は10歳。あどけなさも残っていましたが。
小沢隆さん:
「ほんと、わんぱく小僧でさ、でかくなったよね」
ヴィタリさん:
「大会に参加します」
小沢隆さん:
「おー!そうなんだ、頑張ってな」
ヴィタリさんは稽古の後に開かれた大会「小沢カップ」に参加しました。
小沢さんがセコンドに。
残念ながら敗退―。
小沢隆さん:
「(当時も)空手めちゃくちゃ弱くて、いつも試合で負けていたので、よく続けていたなというのが率直なところ。日本にいるときよりは進歩していましたけど、負けて泣いていたので、懐かしい」
2回目のウクライナ訪問。今回も滞在中に24回の「空襲警報」を聞いたそうです。ただ、住民の反応が2023年とは大きく違いました。
小沢隆さん:
「長引く戦争の中で、空襲警報ではもう人は驚かなくなっていて、警報が鳴っても鳴らなくても、普通に生活をしている。一番は『慣れ』だと思う」
小沢さんは「戦争が日常化」していることを危惧しています。
また、日本でも関心が薄れてきていると感じています。実際、小沢さんらが募っている寄付も減少傾向にあります。
小沢隆さん:
「(当初は)支援するお金は潤沢とは言わないまでも、いろんな協力者がいたが、だんだん支援熱が下がってきているのが現状」
ロシアによるウクライナ侵攻から3年8カ月。終わらない戦争の中、現地を訪れた小沢さんが願うことは―。
小沢隆さん:
「まず、即時停戦できないかという率直な思いがある。ウクライナの現状というのは開戦当時よりは関心が下がってしまっている。2年、3年たった今の方がもっと大変。想像力を持って皆さまにもご支援を願えたら」