胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんが先日、菊陽町の小学校を訪れ、講演を行いました。まっすぐなまなざしで見つめる子どもたちを前に、思いを伝えたしのぶさん。そのメッセージとは。
胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんです。
水俣病が公式に確認された1956年・昭和31年生まれの69歳。
母親の胎内にいるときに水俣病の原因物質・メチル水銀の影響を受け、生まれながらに症状を抱えています。
今月7日、菊陽町立菊陽北小学校を訪ね、菊陽北小と菊陽南小の5年生の児童約110人を前に講演しました。
しのぶさんの隣でマイクを握るのは元・小学校教諭で、『水俣・芦北公害研究サークル』会長の梅田 卓治さん。
当事者の話を直接聞くことで水俣病について自分の心で感じ、考えてもらおうと学校訪問などを通して水俣病教育に取り組んでいます。
【胎児性水俣病患者 坂本しのぶさん】
「私の歩く真似をする男の子がいました」
【水俣・芦北公害研究サークル 梅田 卓治 会長】
「しのぶさんはちょっと跳ねるような歩き方をするんだけど、その歩き方を馬鹿にして歩く真似をしてからかう友達、子どもがいたそうです。だから(朝礼がある)月曜日は〈また中庭に行かなくちゃいけない〉〈また誰かが自分を馬鹿にしてからかうだろう〉と思って月曜日が嫌だった」
6歳まで歩くことができずに1年遅れて小学校に入学したこと。
病院に入院しながら学校に通い、家族と離ればなれでさみしかったことなど、幼い頃からこれまでのことをしのぶさんは自分のことばでゆっくりと語りました。
【胎児性水俣病患者 坂本 しのぶさん】
「(15歳の時)スウェーデンに行きました。私は本当はあまり行きたくありませんでした」「お母さんが『この子を見てください』と言いました。
『水俣にはもっと重い症状の人がいます』と言いました」
【1972年坂本しのぶさんはスウェーデンストックホルムで開催された国連人間環境会議に参加した】
【水俣・芦北公害研究サークル 梅田 卓治 会長】
「お母さんがしのぶさんを横にして『この子を見てください』『水俣病の患者です』と言ったんですけど、『実は水俣にはもっと症状のひどい寝たきりの患者がいるんですよ』とも言われたそうです」
今年度、水俣市を訪れ、水俣病についての学習を重ねていたという5年生の児童たち。しのぶさんが絞り出す声にじっくりと耳を傾け、まっすぐなまなざしで見つめていました。
【児童からの質問】
「お母さんのことをどう思っていますか?」
【胎児性水俣病患者 坂本 しのぶさん】
「恨んだこともあったけど、私のことを生んでくれて良かったなと思っています」
【支援者 谷 由布さん】
「しのぶさんの小学校終わりごろかな、すごくお母さんのことを恨む気持ちも出てきたときもあったんだけど、今は〈お母さんも病気だったんだな〉と思うし、〈自分のことを生んでくれてすごくありがとう〉と思っているそうです」
水俣病患者として国内外の多くの場で講演してきたしのぶさん。
最後に子どもたちにこんなメッセージを贈りました。
【胎児性水俣病患者 坂本 しのぶさん】
「〈自分のことを大切にしてほしい〉と思っています。『水俣病は終わった』と言う人もいるけれど終わっていません。〈自然のことも大切にしてほしいな〉と思います。〈何かあったら先生とか友達に話をしてほしいな〉と思っています」
【児童(菊陽北小学校)】
「しのぶさんの話を聞いて〈まだまだ解決していない水俣病の問題があるんだな〉と感じました」
【児童(菊陽北小学校)】
「しのぶさんの話を聞いたり、今まで学んだりしたことを地域の方や下の学年の子にも正しく知ってもらいたいなと思いました」
【児童(菊陽南小学校)】
「小さい子たちがしのぶさんの真似をしたという話を聞いて私はそういう人を見かけたら注意したいと思いました」
来年は水俣病公式確認70年。
しのぶさんはこれからも自分の声で水俣病を発信し続けます。