二人だけの共通言語の完成
熊本に転居してからは、ハーンに懇願して英語を教えてもらうようにもなる。同居してから2年が過ぎた明治26年(1893)頃には、ハーンから聞き取った英単語の意味や発音が、2冊分のノートをぎっしりと埋めていた。ハーンとの会話に欠かせないオリジナル辞書。「エテエズ(it is)」「ヒーエズ(he is)」など、発音が出雲訛りなのはご愛嬌…。
また、この頃になるとハーンのほうも、2年間の日本暮らしで覚えた日本語の単語や慣用句がさらに多くなっていた。これにセツが駆使する出雲訛りのカタカナ英語をくわえて、お互いの意思を伝え合うには困らないほどに語彙が増えている。
ハーンはあいかわらず助詞が使えず、動詞や形容詞の活用ができず、語順も日本語より英語に近かったのだが。セツもそっちのほうが理解しやすいだろうと、ハーンを真似た日本語文法を無視した喋り方をするようになる。二人の間で交わされる共通言語「ヘルン言葉」の完成である。
ヘルン言葉は進化しつづけた
ヘルン言葉は他人が聞いてもすぐには理解できない。松江では一、二を争う英語スキルをもつ西田千太郎でも、首を傾げてしまっただろう。だが、ハーンが後世にまで伝えられる文豪となるには、これが不可欠のツールだった。
