全国で半数以上の企業が後継者不在という深刻な後継ぎ問題。モノづくり日本が誇る職人の技術が失われることが懸念されている。
後継ぎが見つからず会社は廃業したものの技術は誰かに承継したい…津山市の70代のカバン職人の思いを取材した。
◆後継者不在で62年の歴史に幕を閉じた会社 経営者の75歳男性が職場に「道具」を残す理由
「職人であって、経営者じゃなかった。来てくれていた従業員に良い目をさせてあげられず」
津山市でカバンを製造する末田工業所で2代目の社長兼職人だった末田平さん(75)。多い時には8人の従業員がいた末田工業所は2024年5月、62年の歴史に幕を閉じた。
後継者がいなかったからだ。
会社を廃業しても、何十年にもわたり築き上げた実績は残る。
末田さんは「場所があって、道具があって、材料屋との交流があって、これがパーになると惜しい」と、この地でカバンを作る人が現れたら使える可能性を信じ、ミシンなどの道具は作業所に残したままでいる。
◆かつては「カバンの町」として栄えた津山市で唯一の存在に…後継者探しも不調
かつてはカバンの町として栄えたという津山市。末田さんによると昭和30年代のピーク時にはカバンを作る会社が約20社あり、内職する人の数は約2万人いたという。
しかし、その数はどんどん減り、末田工業所は津山市で唯一ともいえる存在に。
年齢を重ねて目が見えにくくなり、指の力も弱ってきたことなどから会社を続けることに限界を感じ始めた末田さん。しかし、後継者探しは上手くいかなかった。
「1年半くらい後継者探しサイトに出して、何人か来て、でもダメ、来てもダメを繰り返してやっぱり無理かと。手間がかかる。布の袋にそこまでするか?と思われたかなと」
◆「不良品を出したことは一度もない」体で覚える、職人の「技術」承継に大きな壁
6人がかりで1日2個しか作れないほど手間がかかるという末田工業所オリジナルのカバン「KOROKU」。1枚ずつ丁寧に厚みが調整された革。複数の布や革がピタッと合わさり一切ずれがない。
これまで不良品を出したことは一度もないという末田さん。クオリティーの高さが認められ、カバン業界でトップレベルといえる東京・銀座のデパートに置く商品の製作も任されていたほどだ。
しかし技術を承継するには大きな壁が…。
「感覚でやる、この革ならこのくらいとか」
体で覚える、職人の技術。マニュアル化も難しく、簡単に引き継げるものではない。
◆末田さんの技術に憧れ、愛知から訪れる男性にかすかな可能性
末田さんの技術に憧れて愛知県から何度も津山に来る男性がいる。カバン作りを始めて2年の井澤製鞄・井澤知也さん(35)。自分の作品を末田さんに見てほしいという。
のりが付くと製品にできない生地で作られた井澤さんの作品(カバン)を見て「気をつかうだろ、この生地は」と気遣う末田さん。それだけでなく、カバンを手に取り、その生地の特徴を踏まえて「ポケットは力が入るから、三角縫いした方がいい」とアドバイスもする。
「相談に乗れることがあったらいつでも」
着物の生地などを使いインバウンド向けの商品を作っていきたいと話す井澤さんに、末田さんは、革のカバンにこだわってきた自分自身と方向性は違うものの、技術を託す後継者として、かすかな可能性を感じていたのだ。
◆「僕がやってきたことを本気でやってみたいなら伝えたい」末田さんの思いに愛知の男性は
2人が向かったのは市内の人気ホルモン店。井澤さんの来訪が4回目となったこの日、末田さんはある言葉をかけた。
「最終的に僕がやってきたことを本気でやってみたいなら、全面的に知ってることを伝えられる。移住の(制度)も津山市に無いわけではない」
しかし、井澤さんは、こう答えた。
「自分も家族のことがあって、末田工業所で継ぐことは現実的に難しい」
それでも、後継者を探している末田さんの技術を誰も継承しないまま無くなるのはすごく残念とも語った。
◆「継ぐことは難しい」“期待の星”から告げられた言葉に末田さんは…
後継ぎにはなれないが末田さんの技術をできる限り学び、一人前の職人を目指したい。そう言って井澤さんは愛知に帰っていった。
「期待の星が…。難しいですね、難しくなかったら、どの業界でも継ぐ人がいるんでしょうけど」と、末田さんは残念がる。
少子高齢化や人手不足で職人のなり手も減る今、職人の技術をどう次の世代に引き継ぐのか。75歳の末田さんは焦りを口にする。
「早くしないと、あっちに行かないといけなくなる」
“体で覚えてきた”技術の伝承は短期間でできるほど容易ではない。モノづくり日本の大きな課題だ。
