林修先生の「今でしょ!」のCMでおなじみの東進ハイスクールは、鹿児島県垂水市出身の永瀬昭幸さんが一代で築いた学習塾だ。大企業になっても忘れない地元への思いと、「今でしょ!」誕生の裏話とは。「林先生」と一緒にふるさとに帰ってきた永瀬さんを取材した。
ふるさと垂水への帰郷
「永瀬でございます。お久しぶりでございます。まあ、簡単に言うと『ただいま』ということでございますけど」
垂水市出身の永瀬昭幸さんは多彩な講師陣で人気の学習塾、東進ハイスクールや東進衛星予備校の創業者で、教育事業を展開する「ナガセ」の社長だ。2025年10月25日、永瀬さんは10年前から学習支援を続ける鹿児島県立垂水高校の創立100周年記念式典に合わせて帰郷した。
会場にいる生徒に永瀬社長が呼びかけたのは、いつも塾の生徒に言っているという「夢は大きく、目標は高く」というメッセージだった。
「目標をめちゃくちゃ高くすると、思いもつかない色々なことが出てくる。『去年より5%、これはだめ!去年より少なくとも3倍やる!』という目標を持つ。それはもう不可能なことですから。そうするとゼロから考え直してやっていくから、思いもつかないような創意工夫ができる」のだという。永瀬さんはさらにこう続けた。
「逆に言うと、持っている潜在能力を120%、150%出さざるを得なくなる。高い目標を持たないと、その持っているすごい潜在能力が一生埋もれたままになる」という永瀬社長の言葉に、垂水高校の生徒は「場所は関係ないのかなと思った。自分の能力で、ここまで大きな会社をたててすごいと思った」と感銘を受けていた。
垂水からの通学と起業
永瀬さんは1948年生まれの77歳。垂水小学校を卒業後、中学校から鹿児島市のラ・サール学園に進学した。寮には入らず、フェリーで往復3時間以上かけて通学していた。
勉強時間の確保が難しい中、フェリーではいつもいちばん前の席を特等席代わりにして勉強していたという。「一番前の席にテレビがあった。テレビを見るわけにはいかないけれど、人はこっちを見ている。それで集中して意外と無駄にすることなく時間を生かすことができた」と当時を振り返る。
東京大学に進学した永瀬さん。在学中に起業した学習塾が大成功を収めた。キャッチフレーズは「ラ・サール出身の東大生が教えます」だった。
「(講師として)当時来たのが、宮園君(元農林中金副理事長・宮園雅敬さん)とか、佐々木君(元内閣官房副長官補・佐々木豊成さん)とか、片野坂君(現ANAホールディングス会長・片野坂真哉さん)とか。優秀な先生がいると、塾というのは生徒が集まって来るという体験を得たので、後々『講師陣が自慢です』という路線をやるが、そこが原点です」と永瀬社長は語る。
林先生の人生を変えた「今でしょ!」誕生秘話
その「自慢の講師」の一人が「林先生」こと林修さん。「永瀬社長の頼みなら」と、この日、忙しい仕事の合間を縫ってかけつけた。
「『最近、林修はちゃんと授業をやっているのか』と色々な所で言われる。本当に台本に『元予備校講師』と書かれたこともあるし、それで『まあ、やってますよ』」という話に会場から笑いが。
そして「そのくらい芸能活動を派手にやっているのに、(永瀬社長は)それについて何も文句を言わず、むしろサポートしてくださっている。この面もありがたい」と永瀬社長への感謝を語った。
林先生を一躍有名にした「いつやるか?今でしょ!」のCM。実は採用するフレーズにはもう一つ候補があり、林先生はそちらのほうを推していたが、永瀬さんが「今でしょ!」を選んだという。林先生に、ボツになってしまったフレーズを再現してもらった。
「優秀な人は情報のまとめ方からして違う!」
すかさず「だめですね、やっぱりね」と苦笑した林先生。「大げさでなく、一言で人生変わりましたからね」と語った。
教育の機会均等を!地元に思いを還元
一方、「教育の機会均等」も永瀬さんが大切にしている理念だ。今では当たり前となった映像での授業だが、優秀な講師の授業をいつでも、どこでも受けられるスタイルは東進が根付かせたと言っても過言ではない。この取り組みの背景には、垂水市から鹿児島市へ毎日通学していた自身の経験も影響しているのかもしれない。
現在、垂水市には中学校が1校、高校が1校しかなく私立の学校も有名な学習塾もないが「ふるさとへの恩返し」を込めて永瀬さんは東進の講座を垂水高校の生徒に提供することを申し出た。
それから10年。2025年の夏期補習では生徒が国語、数学、英語、小論文の中から好きな講座を選び、垂水にいながら映像で東進の授業を受けた。また過去には、東進の講師を派遣し映像以外の授業も行うなど、地元垂水でも教育の地域格差をなくす取り組みが進められている。
目指すは世界進出 原点は地元垂水
教育現場の最前線で、多くの人生を支えてきた永瀬さん。「定年は90歳」と話す。
「垂水があるから僕の原点があるので、色々な意味で故郷の人たちに何かお返しをしたいという気持ちはいっぱいある」と、いつもふるさと垂水を思いながら、さらなる夢、世界進出を目指して走り続ける永瀬昭幸社長。鹿児島の垂水市という小さな町から始まった彼の挑戦は、まだまだ続く。
