中越地震から10月23日で21年。歳月が流れたことで地震の記憶の風化が懸念される中、鎮魂の祈りが捧げられた23日、その記憶の継承に向け多くの人が気持ちを新たにしていました。
21年前の10月23日、中越地方を襲った最大震度7の揺れ。一夜明け見えてきたのは…
【記者リポート】
「山古志村の上空。山間部では、ものすごい爪痕を各所で見ることができます」
【記者リポート】
「巨大な岩が山ごと押し流されていて道路をふさいでいます」
中山間地を襲った被害の大きさ。犠牲者は68人にのぼり、12万棟を超える住宅に被害を出しました。
一時、10万人を超える人が余震の恐怖に耐えながら避難生活を送りました。
あれから21年…親子3人が巻き込まれ、母と娘2人が亡くなった長岡市妙見町の土砂崩れ現場には献花台が設けられました。
【花を手向けた人】
「近くなってくるたびに思い出す。どうしても。忘れることはないと思う」
地震の直前に現場を通ったという男性が忘れることはないと話す一方で…
【花を手向けた人】
「21年経ったが、これからの人たちにも伝えていかなければないと思っている」
地震から21年という歳月が流れ、その記憶の風化が懸念されています。
【長岡市 磯田達伸 市長】
「全力で復旧復興に取り組んできて、一区切りつけるべきではないかなと思っている」
長岡市の磯田達伸市長は「復旧・復興は一区切り」と話した上で、次のステップとして記憶の継承に取り組む考えを示しました。
【長岡市 磯田達伸 市長】
「アーカイブとしてきっちり守りながら、コンテンツとして発信していくことを、記憶の継承という試みをしっかりやっていきたい」
こうした中、被災の記憶と共に伝統をつなぐのが山古志の牛の角突きです。山古志闘牛場では23日、中越地震復興感謝場所が開催されました。
【山古志闘牛会 松井富栄 会長】
「この角突きをまた一生懸命、皆さんと一緒に地域づくりをしながらやっていきたい。今後とも山古志、牛の角突きをよろしくお願いします」
一時は住民だけでなく牛も避難を余儀なくされた山古志地区。その地震を乗り越え、伝統をつないだ牛の角突きはまさに復興のシンボル。訪れる人に地震の記憶を伝えています。
【訪れた人】
「(地震を)知らない方も多い中、復興されてここまでやっているということを若い人にもつないでいければ」
【山古志闘牛会 松井富栄 会長】
「災害が起きたあとの復興の進め方じゃないが、色んな地域で過疎高齢化があって、人手が足りない中で、どうやって地域を守っていけるかというのを示す力になれればと思っている」