当時は欧化政策に邁進していた時代だから、欧米人の彼は高待遇の職を得て大切にされていたのだが、アメリカにいた頃は人間関係を拗らせ職場を転々として、40歳頃まで食うや食わずの貧乏暮らしだった。

猜疑心が強く被害妄想の傾向があり、おまけに頑固で自分の考えに固執する。協調性に欠ける面もあった。

セツも八雲の頑固には困ることが多かったようなのだが、そんな面倒臭いところにも母性本能を刺激されたのだろうか。

一番好きな趣味は「小泉八雲」

八雲と一緒になるまで、セツはダメ男たちを養うために生きてきた。強い愛情と屈強な心身に支えられながら、朝早くから寝るまで重労働に耐えつづけた。が、やがて高給取りの夫のおかげで、自分のためにお金や時間を使う余裕ができてくる。

東京・新宿区富久町の旧居跡
東京・新宿区富久町の旧居跡

暮らしぶりは大きく変わり、好きな趣味に明け暮れる楽しさを知るようになった。東京に転居してからは歌舞伎や芝居に夢中になり、芝居が終わった後には友人たちと一緒に美食を楽しむ贅沢も…。これまでの我慢や自己犠牲に費やした分を取り戻そうとするように、人生を謳歌していた。謡曲や茶の湯など多くの趣味を持つようにもなる。

我慢強かったセツの性格が変容した。あるいは、これが本来の性格だったのかも…。 

隠岐・海士町の菱浦を眺めるように立つ夫婦像。八雲は特に菱浦が気に入っていた
隠岐・海士町の菱浦を眺めるように立つ夫婦像。八雲は特に菱浦が気に入っていた

しかし、セツが最も興味をそそられる存在は「小泉八雲」である。夫を喜ばせることが一番の趣味であり、生き甲斐だった。そこだけは昔から変わらない。この世でいちばん可愛くて愛おしいダメ男のために、彼が好みそうな昔話を探してまわり、それを話して聞かせる。

自分の話に好奇心をかきたてられて目を爛々と輝かせ、また怖い話には表情が恐怖に凍りつく。それを見るのが楽しくて、なんだかとても幸せな心地になってくる…。

そんな光景が目に浮かぶようだ。

青山 誠(あおやま・まこと)
作家。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。

青山誠
青山誠

作家。大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』、『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』、 『やなせたかし 子どもたちを魅了する永遠のヒーローの生みの親』、『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(以上KADOKAWA)などがある。