太平洋戦争中に旧村松町にあった『陸軍少年通信兵学校』で学び、戦死した卒業生を悼む慰霊祭が新潟県五泉市で行われ、遺族などが若くして亡くなった少年兵に思いを寄せました。
新潟県五泉市の村松公園にある慰霊碑。
太平洋戦争中の1943年に開設され、全国から志願した若者が暗号の解読などを学んだ『村松陸軍少年通信兵学校』。
ここで学んだ多くの少年兵が戦地に送られ、812人が命を落としました。
【慰霊碑を守る会 浅田光雄 会長】
「少年通信兵の一番悲惨なことは、戦地へ着く前に輸送船の中でみんなやられてしまった。少しも(作戦を)手伝うことができなくて、全部海の底に沈んでしまった」
10月13日、遺族など約50人が参加して行われた慰霊祭。
和歌山県から参加した西川あや子さんは、父親の弟が18歳前後でフィリピンのルソン島で命を落としました。
【遺族 西川あや子さん】
「今では考えられないが、みんなが国のためと思ったのだと思うし、やっぱり教育がそうだったということは悲惨で本当につらいこと」
今年に入り、慰霊碑の裏には、812人の名前が刻まれました。
【慰霊碑を守る会の会員】
「文字で(名前を)見せられたら、本当にこれだけの方が命を落とされたのだと実感する」
【慰霊碑を守る会 浅田光雄 会長】
「やはり普段は気にしないが、この平和を大切にしていくということが大事なのだと改めて感じさせられる。その意味でも、この慰霊祭は意義のあるものだなと感じている」
慰霊碑を守る会の浅田会長は、活動を後世につなげるために、まずは地元から理解を広げ、その輪を大きくしていきたいと話しています。