TSKとJALのコラボ企画です。
今回は、客室乗務員でJALふるさと応援隊の橋口風鈴さんが、鳥取県西部に伝わる伝統の技「弓浜絣」を受け継ぐ女性を取材しました。
綿の栽培から織りまでを手がけるその思いを聞きました。
JALふるさと応援隊・橋口風鈴さん:
今、何を収穫されているんですか?
佛坂香奈子さん:
はい、綿を収穫していますです。
JALふるさと応援隊・橋口風鈴さん:
初めて見ました。
境港市の畑、作業の手を止めて迎えてくださったのは、佛坂香奈子さん。
鳥取県西部で江戸時代の中ごろに始まった「弓浜絣」の職人です。
小さな畑で原料になる「伯州綿」を栽培しています。
綿花の栽培から糸つむぎ、そして、織りまで、工程のほとんどの一人で手がけています。
佛坂香奈子さん:
簡単に取れますので。
JALふるさと応援隊・橋口風鈴さん:
すごい、ふわふわで気持ちいいです。
境港市などが位置する弓浜半島は水はけの良い土壌に恵まれ、江戸時代から綿花の栽培が盛んでした。
この地で栽培される綿は繊維が太く、弾力が強いのが特徴で「伯州綿」と呼ばれ、全国に知られていましたが、明治以降、安価な外国産におされ、衰退していきました。
2008年から境港市で復活の取り組みが始まり、2024年は約190キロ、多い年には800キロ近くが収穫されるまでになっています。
佛坂さんの工房で、糸紬を体験しました。
佛坂香奈子さん:
回してみてください。ここを見ながら…そうです、そうです。
JALふるさと応援隊・橋口風鈴さん:
やってもどうなってるのか。
佛坂香奈子さん:
できてます、できてます。
JALふるさと応援隊・橋口風鈴さん:
糸ができるのが不思議でたまらないです。
「弓浜絣」の工程は、この「糸紡ぎ」から始まり、柄の部分を染め分けるため糸をしばる「括り」、そして、藍染の職人が染め上げた糸を織る「機織り」とつづき、一反の生地が出来上がるまで、2か月ほどかかります。
JALふるさと応援隊・橋口風鈴さん:
こんなにたくさんの工程がある。みなさんにも知ってもらいたい。
佛坂香奈子さん:
(昔は)おばあさんとかが夜中に作ったものを大事にずーっと着てたんでしょうね。そのあと布団の生地にして、最後雑巾にと言われるんですけど、量産できないから、そりゃ大事にしますよね。
国の伝統的工芸品、県の無形文化財に指定されている「弓浜絣」。
後継者を育てるため、生産者の団体は2007年から研修制度をスタート。
佛坂さんは、その1期生として、その技術を受け継ぎました。
JALふるさと応援隊・橋口風鈴さん:
どうして弓浜絣をやろうとおもわれたのですか?
佛坂香奈子さん:
いろいろなものがなくなっていくタイミングだった。途絶えたり、まさかそれが自分の地元でおきるなんて惜しいなと思った。
地域の伝統文化は、ほかの誰かがつないでくれる。
しかし、その誰かがいない…このことに気づいた佛坂さんは、自分がその誰かになると決意3年間の研修を受けました。
それから約20年、弓浜絣の魅力を多くの人に知ってもらい次の時代に伝えていこうと、時代に合わせたデザインや風合いも取り入れながら地道に絣を作り続けています。
ただ、その一方で悩みも…。
佛坂香奈子さん:
(弓浜絣職人の)20年経ってずっと最年少のままなんですよ。空白の20年ができてしまった。
佛坂さんを含め、6人いる研修修了生の次の世代は育っていません。
受け継いだバトンをどのように次の世代に渡すか、大きな問題です。
佛坂香奈子さん:
この地にあるということを知ってもらうこと、欲しいと思われるものを作れば、名前は続いていくし広がっていくと思うので、地道にただ作っていくことが重要だと思っています。
細くてもしなやかで柔軟。
そんな伯州綿から紡ぐ糸のように、佛坂さんは、息長く弓浜絣の伝統をつないでいきます。