「あの日のきょうにずきゅん」テレビ新広島、放送50年の歴史の中から、あの日のニュースを振り返ります。
今から39年前の1986年9月、98歳の高齢にもかかわらず、ローカル新聞の発行に情熱を燃やす尾道市の男性が話題になっていました。
この男性は、明治21年、1888年生まれの石原善三郎さん、当時98才です。
石原さんは、尾道市吉浦町にある自宅兼事務所で地元の日刊紙「大朝日日新聞(だいちょうにちにちしんぶん)」を発行していました。
スタッフは社長兼編集長の石原さんと構成と印刷を担当している奥さん、記者やタイピストなど合わせて8人です。
この年、発刊10周年を迎えていました。
石原さんは、戦後すぐから尾道市長を3期つとめていたこともあり、行政や尾道市政に対し厳しい意見や提案を紙面に反映させていました。
【石原善三郎さん】
「90幾つで自らこれやって、経営するというのは、誰でもやれん仕事ですからね」
石原さんは、毎日午前2時に新聞を販売店に届け、寝るのはいつも3時か4時。
若い人にはまだまだ負けないと意気盛んでした。
(メモ)
尾道水道には現在、尾道大橋、新尾道大橋の2本の橋が架かっていますが、尾道と向島に橋を架けようと最初に言い出したのは、戦後間もない昭和21年、1946年当時、尾道市長だった石原さんだったと言われています。
当時は、現実味がありませんでしたが、1968年に尾道大橋が開通し、その先見性が評価されました。
その後、1971年に再び尾道市長に返り咲くと、しまなみ海道の実現にも尽力したということです。
石原善三郎さんは、この3年後の1989年、101歳で亡くなりました。