2025年5月21日、愛知県一宮市で妊娠9カ月の研谷沙也香さん(当時31歳)が、歩いていたところを、突然後ろから車が追突し亡くなった事故。

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事故後、帝王切開によって生まれた娘の日七未(ひなみ)ちゃんは、一命を取り止めましたが、脳に重い障害が残り今も意識がありません。

9月2日初公判が行われ、車を運転していた児野尚子被告(50)は、涙ながらに「事故の責任は私にあります。謝って済むことではありませんが、本当に申し訳ございませんでした」と起訴内容を認め、謝罪しました。

しかし、被害者の夫であり父親である研谷友太さんは、納得できない点があるといいます。

法律上、母親のおなかの中にいる赤ちゃんは「母体の一部」とされ、「人」とはみなされないため、起訴状に被害者として記されていたのは、沙也香さんだけ。日七未ちゃんの名前はありませんでした。

事故当時、まだ胎児だった日七未ちゃんは、被害者とみなされなかったのです。

日課の散歩中に起きた事故「こんな未来になるとは…」

人工呼吸器をつけ 静かに眠っている、生後3カ月の日七未ちゃん。

研谷友太さん:
妻も生まれてくるのを楽しみにしていましたし、服とかも最低限買ってあとは「一緒に暮らし始めたら一緒にかわいいのを見に行きたいね」とか…。こんな未来になると思ってなかったので。

事故当日、広島県に単身赴任中だった友太さんは、急ぎ、沙也香さんが搬送された愛知県内の病院に向かったといいます。
新幹線の車内で、「さやか頑張れ!!」とLINEでメッセージを送りましたが、そのメッセージが既読になることはありませんでした。

研谷友太さん:
妻の意識がないってことは聞いた上で向かっていましたので、本当に重篤な状態なのであれば私が着くまで到着するまで、なんとか生きてほしい…とも思っていましたし、もしかしたら娘はもうだめかもしれないとか、そんな思いが頭の中をぐるぐるしながら、ずっと新幹線の座席に身を沈めて、ただ着くのを待つしかなかった状態なんですけれども。

しかし、ようやく病院に到着した友太さんが見たのは、変わり果てた妻の姿でした。頭などを強く打っていた沙也香さんは、事故から2日後に帰らぬ人となりました。

研谷友太さん:
ようやく妻に対面したんですけども……。
顔がもう腫れ上がっている状態ですし、体中傷だらけ血だらけでしたし。どんなぶつかり方、はねられ方をしたらこんな状態になるんだろう、そんな状態でした。

事故によって、予定日よりも2カ月早く生まれた、日七未ちゃん。

研谷友太さん:
妻のおなかには一切外傷がなかったみたいなんですよ。事故の状況からして、妻は本当に何が起きたか分からなかったとは思うんですけれども、ただとっさにおなかの子だけは守ったからこそ、娘もなんとか命をつないで出てこられたのかなとは思います。

出産のために、実家に里帰りしていたという沙也香さん。
妊娠している間はほどよい運動が必要だと、毎日30分から1時間歩くことが日課になっていました。母子手帳には、こんな言葉が…。

「ほぼ毎日散歩しているが、日によって30分や長くて1時間くらいになった。だんだんお腹が大きくなる実感があり、動きづらさを感じる」

沙也香さんの父・水川敦史さんには、悔やんでも悔やみきれない思いがあるといいます。

沙也香さんの父・水川敦史さん(62):
たまたま愛知が暑くなり始めた頃なんで、「きょうはもうやめたら?」と言ったんですけど、「きのうも暑くて休んだから、きょうは曇りだから行ってくる」と言って出て事故に遭ったので もし私がもっと強く止めていたら…事故に遭わなかったのかなと今は思っています。

娘も“被害者” 11万2000筆超のオンライン署名提出

友太さんは9月2日、日七未ちゃんに対する過失運転致傷罪も裁判で扱うよう求める 、11万2000筆以上のオンライン署名を検察に提出しました。

研谷友太さん:
娘を被害者として認めてほしい。娘がこの状態になってしまったっていうのは、事故によってそうなったっていうのは明らか。
人間として生きている状態なのにも関わらず、「その人は被害者じゃありませんよ」。違和感でしかないじゃないですか。

初公判で検察は、日七未ちゃんのけがの追加捜査を認めると言及。今後、日七未ちゃんが、被害者として認められる可能性はあるのでしょうか。

(「サン!シャイン」 2025年9月3日放送)