明治の外交官・小村寿太郎を世に送り出した飫肥出身の教育者・小倉處平の命日に合わせ、宮崎県日南市で墓前祭が行われました。
小倉處平顕彰墓前祭には城下町飫肥まちづくり協議会のメンバーなど約35人が参加、玉串を捧げその偉業を偲びました。
小倉處平は飫肥藩校の教育者で英語学習に取り組み、明治の外交官・小村寿太郎を育て世に送り出しました。
1877年の西南戦争では西郷軍に加わりましたが、延岡市北川町の和田越えの戦いで負傷した後に自決し、31年の生涯を閉じました。
(城下町飫肥まちづくり協議会 中島康俊会長)
「(小倉處平は)田舎の藩でも実力がある人はどんどん世の中に出られるんだよということをやってこられた方です。若い人たちにも知って、もらって世界に羽ばたく人たちをこの地から出していければと考えています」
城下町飫肥まちづくり協議会では、今年11月に小倉處平が自決をした延岡市北川町を訪れ慰霊することにしています。