手足のけいれんが止まらない日本兵を記録した映像が残されています。
戦場でのストレスからこうした症状があらわれました。
心を病んだ兵士が数多く存在し、戦後、家族への暴力につながっていた事実。
いま、家族たちの証言で実態が明らかになり始めています。
(この記事には性虐待を受けた女性による詳しい体験談があります。ご注意ください。)
■「死体は見慣れた」と語った父 「絵を描き心の傷と向き合ったのでは」と娘
【所薫子さん(72)】「父たちが、ちょっと小高いところに座ってご飯を食べてたんです。その時に手りゅう弾で飛ばされた手が、飛んできたんです」
神戸市に住む、所薫子(ところ・かおる)さん(72)。画家だった父親が、自らの戦争体験を元に描いた絵を紹介しています。
所さんの父、坂本正直さんは、1937年から、主に中国大陸などで従軍。物資を運ぶ兵士として、中国の南京に入った時の記憶を語っています。
【坂本さん音声】「中国の兵隊の首切りを見たり、道路上の人間の死体が、2つか3つ中国人でしょうが、(車で踏みつぶされたのか)頭蓋骨がベターなって、歯だけがくっついてるわけですよ死体に。そういうの(死体)は神経が見慣れてるから、もうあんまり目に入らんわけですわ。荒れてるわけだから精神状態が」
「父は絵を描くことで、戦争で負った心の傷と向き合っていたのではないか」所さんはそう考えています。
【所薫子さん(72)】「ある意味、父は吐き出してたっていうか、そういうこと(絵)があって、父はなんとか気がおかしくならないで済んだ」
■隠ぺいされた 戦場での体験で精神に異常をきたす「戦争神経症」
戦争当時に撮影された映像で、手足がけいれんする日本兵や立ち上がったり、歩いたりするのが困難になった兵士を記録したものが残っています。
日本軍では、兵士が戦場での体験から、精神に異常をきたす「戦争神経症」を発症する事態が相次ぎましたが、「恥ずべき存在」として、その事実は隠ぺいされました。
千葉県の病院には、軍医たちがひそかに保管していたカルテのコピーが、いまも残されています。
【砲弾を足に受け不眠症状が現れた兵士についての記述より】
「何ヲ質問スルモ『スミマセヌ』『スミマセヌ』『殺シテ呉レ』トイフ」
「敵ガ迫ル声ガ聞コエルトイフ」
■優しくておとなしかった父…復員後は酒を飲んで家で暴れる存在
世間に隠されてきた、心を病んだ日本兵たち。戦後、その狂気は家族に向けられました。
大阪市東淀川区でカフェを営む藤岡美千代さん(66)。
今でも、亡き父親の写真を直視することができません。
【藤岡美千代さん(66)】「(父親の写真は)まだちょっと見れないです。まだまだ記憶の方が、実際に体に受けた痛みの方が、思い出される」
藤岡さんの父、古本石松さんは21歳の時、海軍に召集され、終戦の時は千島列島の航空基地に所属。ソ連軍によって、極寒のシベリアにおよそ3年間抑留されました。
戦争に行く前は、優しくておとなしかったという父親。
しかし復員後に生まれた藤岡さんにとっては、定職につかず、酒を飲んでは家で暴れてばかりの存在でした。
【藤岡美千代さん(66)】「(父親は)私を正座させて、『お父ちゃんはな、トラックの運転をしながら、敵の砲弾の中、救援物資を運んだんや』って言う。突然、夜、私と兄を起立させるんです。『起立!』軍隊みたいな感じですね。台所のプロパンガスの栓を開けて、シューってガスが出るんですよ。お父ちゃんは、『みんなで死のう、みんなで死ぬんだ』って言って。そしたら母が半狂乱になって、『死ぬんだったら、お前だけ死ね』って、ガスを止めに行くんですね」
■酒を飲んでいない父が「許してくれ」 その後、自殺
藤岡さんが9歳のころには、父親は幻覚や幻聴がひどくなり、家の中で便を垂れ流すようになっていました。
そうした中で始まったのが、藤岡さんへの性的な虐待でした。
【藤岡美千代さん(66)】「父が私の体をまさぐるようになってくるんです。太ももにべちゃべちゃ唾をつけるということをし始めて、気持ち悪い。腕立て伏せみたいにして、父が動くんですけど、それがよく分からなかった。ただ私はぼーっと寝てるだけなんですけど、太ももがべちゃべちゃ気持ち悪いっていうのと、ちょっとヒリヒリするっていう」
その後、父親と母親が離婚。
しばらくして、母親に引き取られた藤岡さんの元を父親が訪ねてきました。
その時の様子が、今でも忘れられません。
【藤岡美千代さん(66)】「父が来たんですけど、お酒を飲んでなかったんです。酒を飲んでない父は、本当に久しぶりだった。父が私と兄とを並べて、『美千代、許してくれ、許してくれ』と言って泣いてるんですね。私は父に対して何の感情移入もないので、『許すって何』って感じだったんです」
その2週間後、父親が亡くなりました。当時47歳、自殺でした。
■「父は戦争に苦しめられ続けていたのでは…」転機訪れたが家族たちとの出会い
その後、父親のことを忘れようと、口を閉ざしてきた藤岡さん。
虐待の記憶がよみがえっては、精神が不安定になることを繰り返しました。
転機が訪れたのは2年前。
復員兵の父親の虐待などに苦しんだ家族たちとの出会いでした。
「父は戦争によって精神に異常をきたし、苦しみ続けていたのではないか」と考えるようになったのです。
家族たちの訴えによって、厚生労働省は昨年から調査を実施。7月から、戦争による傷病者の歴史を伝える国の施設で、調査結果をまとめた展示を行っています。
展示では、太平洋戦争中、陸軍で病気になった人のうち、67万人が「精神病・その他の神経症」だったと紹介されています。
■「少しでも理解したい」と「引揚記念館」を訪問
復員兵の父親から虐待を受けていた藤岡さん。
この日、パートナーの男性と訪れたのは、京都府舞鶴市の「引揚記念館」です。
シベリアに3年間抑留され、舞鶴に引き揚げてきた父親。
「少しでも理解したい」との思いからでした。
【藤岡美千代さん(66)】「父のいた区域なんですよ。(シベリアの)ムーリー(地区)。ムーリーがあった」
【パートナー】「こっちに体験室あるよ。部屋の再現の体験室あるよ」
【藤岡美千代さん(66)】「え~」
【パートナー】「こわい?」
【藤岡美千代さん(66)】「こわいっていうか…こわいんだけどね…こんなところにいたんかって思う。よく生きてたなあ」
【パートナー】「極寒やから、マイナス30度とか40度くらいになるやろ」
藤岡さんは展示されている人形をさすり、涙ながらに語り掛けました。
【藤岡美千代さん(66)】「よく生きてたな…全員連れて帰りたい。みんな連れて帰りたい」
そして改めて父の存在を感じていました。
【藤岡美千代さん(66)】「いなかったことにしたけど、やっぱりいるんだな、お父ちゃんってな。私の中に、あんな人いないと思ってたけど、いるんだな、ちゃんとね」
■父親の苦しみに少しだけ触れられた
【藤岡美千代さん(66)】「ここに来てよかった」
これまで、心の中から消し去ってきた父親。
藤岡さんは、父親の苦しみに少しだけ触れられたような気がしました。
そして海に向かって、語り掛けました。
【藤岡美千代さん(66)】「海のにおいが…この景色みたんだな、お父ちゃん…お父ちゃんおかえり…」
■「抗えない戦争という歴史があった」戦後80年たっても…
【藤岡美千代さん(66)】「父のした行為自体は許してない。まだまだ、どこかでくすぶってますけど、そうならざるを得ない、1人の人間を作ってしまったのは、父に抗えない戦争という歴史があったから」
心を壊した復員兵が家族に向けた狂気。
戦後80年がたった今もなお、写真には、布がかけられたままです。
(関西テレビ「newsランナー」2025年8月15日放送)