250人以上が犠牲となった日本最後の空襲「土崎空襲」から14日で80年です。秋田市では追悼式典が開かれ、遺族などが平和への誓いを新たにしました。
土崎空襲は、1945年8月14日アメリカ軍の飛行機から秋田市の土崎地区に爆弾が投下され、市民や軍人など250人以上が犠牲になったとされています。
土崎空襲から14日で80年。秋田市で開かれた追悼式典には、犠牲者の遺族や地域住民など約150人が出席しました。
式では、土崎港被爆市民会議の伊藤紀久夫会長が「不幸にして犠牲になられた方々にはまとめられた数字ではなく、この世に生まれてきた証、それぞれに個人の尊厳が込められた名前があり、喜怒哀楽のある人生があるはずでした。それが突然奪われ、さぞ悔しく、無念だったろうと思います。これからも市民の皆さまとともに土崎の地から犠牲者の追悼と平和の声を発信していくことを誓い、あいさつといたします」と追悼の言葉を述べました。
式典には、生後10カ月ほどの弟を亡くした秋田市の富樫智英さん(88)の姿がありました。富樫さんは「弟も小さいし、私も小学2年生くらいだった。母親が、弟・勇英をおんぶしていた時に、爆風で亡くなったと聞いている。悲惨な状況を見てきた。私からすると戦争は嫌なことだなと思う」と話しました。
また、家族9人は助かったものの、自宅が爆撃された秋田市の伊藤津紀子さん(84)は「自分の家に2発爆撃されて、私と姉の日本人形が倒れていたのを見て、子ども心に悲しくてすごく頭に残っている。戦争を体験したものとしては、今の世界の情勢が危ういとすごく感じる。若い人の伝えていくこと、私の次に話す人を育成していかなければいけないと思っている」と当時を振り返り、平和への誓いを新たにしていました。
土崎空襲の犠牲者は、長年250人以上と伝えられていますが、その根拠は曖昧になっていて、土崎港被爆市民会議は空襲から80年となる2025年、新たな犠牲者の名簿を作成しました。
公開された名簿では、市民92人と軍人33人の合わせて125人が特定されていて、被爆市民会議では、今後も調査を続けて、空襲による被害の真実を明らかにすることにしています。