8月12日は、四ツ谷用水です。伊達政宗が400年前に作ったものなんですが、調べてみると、実は現代の私たちにもなくてはならない存在でした。

仙台放送の目の前にある北六番丁交差点。JUNIくんが気になるものを見つけました。それが…こちらの石の柱!「かみすぎやまはし」と書かれています。ここに橋はありません。隣には短い説明、「四ツ谷用水」の文字が…。

「四ツ谷用水?なにそれ?」

答えを探しに向かったのは、仙台市水道記念館です。建物に入ると…ありました!

「仙台城下を潤す四ツ谷用水政宗公が作った水の路」

そう、四ツ谷用水はおよそ400年前の江戸時代に、仙台藩主・伊達政宗が作ったものなんです。

「かみすぎやまはし」はかつてその四ツ谷用水にかかっていた橋でした。ではなぜ政宗はこの四ツ谷用水を作ったのでしょうか。

仙台・水の文化史研究会 会長 柴田尚さん
「伊達政宗公はこの仙台の地に、全く新しく城下町を作った。その町には伊達政宗が引き連れてきた家臣、町人、約5万と言われる人たちがいた。その人たちの生活用水を確保する必要があったわけです。仙台は当時、全く人の住んでいる土地ではなかったんですね」

何もない土地に5万人が住める新たな城下町を作るという壮大な計画。生活用水だけでなく、防火や農業のためにも、水の確保はとても重要な問題でした。でも、仙台にはたくさんの水が流れる広瀬川が流れています。

「すぐそばの広瀬川の水を使えばいいんじゃない?」

仙台・水の文化史研究会 会長 柴田尚さん
「広瀬川は町の高さからはずいぶん下にあるわけです。直接利用するっていうことは叶わなかったわけですね」

そこで考え出されたのが、広瀬川の上流から水を取り入れて、梅田川までをつなげる用水路。これが四ツ谷用水です。

これは柴田さんたちが江戸時代の地図を元に作った四ツ谷用水の地図です。これを現代の地図に重ねてみると…仙台の町の隅々まで水路が通っているのがわかります。政宗は、これを今から400年も前に計画して、作り上げたのです。

「400年も前に、こんなことを考えるなんてスゴイ!」

そして、この四ツ谷用水、今もその姿を見ることができる場所があります。

仙台・水の文化史研究会 会長 柴田尚さん
「当初の広瀬川の水の取り入れ口がちょうど、この辺だったということです。四ツ谷用水という名前の由来は、ちょうどあの辺りに4つの家屋があったということでつけられたという話もあります」

さらに、広瀬川の向こう側にわたると…。

仙台・水の文化史研究会 会長 柴田尚さん
「唯一当時の水の流れが見られるのは、ここの一部の区間だけになりました。城下町まで約3キロほどだったと思うんですが、その間を人力によって山を掘り、谷を渡し、工事を進めたわけです」

山には穴を掘り、谷を越える場所には「掛樋」という木で作った水道管のようなものを通して、町まで水を流したそうです。

「こうして谷を越えていたんだね!」

多くの人が参拝する大崎八幡宮にも、当時の名残があります。

仙台・水の文化史研究会 会長 柴田尚さん
「太鼓橋という橋ですので、実はここ、四ツ谷用水を渡した橋なんです。今は水面は全くありません。コンクリートのふたがかかっております。現在もふたの下を水が流れてるんですよ」

さらに下流には、こんな場所も!

仙台・水の文化史研究会 会長 柴田尚さん
「これが最近、我々の仲間が作った看板なんですが、洗い場の跡を、ここで見つけて表示したんです」

街のあちこちに残る当時の面影。四ツ谷用水は水路すべての長さを合計すると、60キロにもなります。完成までには80年以上の年月がかかったと言われています。

町の隅々にまで水を行き渡らせることで、仙台の街は豊かになりました。「杜の都」と呼ばれる仙台の、街中の木々も、四ツ谷用水によって育ったと考えられています。

仙台・水の文化史研究会 会長 柴田尚さん
「四ツ谷用水によって張り巡らされた水路網から、地下に水が浸透することによって、地下水が補給されて、豊かな地下水を持った城下になっておった。『杜の都』、すなわち『水の都』と言っていいと思いますね」

仙台の人々の暮らしを支え親しまれてきた四ツ谷用水は、明治以降の近代化の中で、少しずつ私たちの目には見えないようになります。

仙台・水の文化史研究会 会長 柴田尚さん
「近代化を図るために、まず馬車を走らせる、道路の真ん中にある水路をつぶさなければならない。昭和30年代に、工業用水の需要が高まったということで、四ツ谷用水を利用することにしたんですね。管理のしやすいように、水路に蓋をかけたということですね」

実は、地下に隠れながら今も流れ続け工業用水として仙台周辺の工場で使われているのです。

さらに…東日本大震災では、仙台市の下水を処理する南蒲生浄化センターが被害を受けましたが、そこへ続く下水道自体は使えなくなりませんでした。これも四ツ谷用水のおかげだそうです。

仙台・水の文化史研究会 会長 柴田尚さん
「仙台市の下水道あるいは上水道は四ツ谷用水の原型を利用した、あるいは踏襲した形で施設が作られている。広瀬川の流れによって生じた地形、その勾配を利用した水の流れを現代の人たちもよく理解して施設を作ってきた成果」

2016年には歴史的に重要なものとして、「土木遺産」に認定。さらに過去と今をつなぐ生きた教材として今年度から、中学校の歴史教科書にも採用されました。

仙台の地形を巧みに生かして、伊達政宗が作った四ツ谷用水は、400年経った今でも、私たちの暮らしを支えているのです。

仙台放送
仙台放送

宮城の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。