FNNでは「戦後80年 いま、平和ですか」と題し、平和の現在地を探るキャンペーンを展開しています。

12日にお伝えするのは、被爆した樹木を活用した伝統工芸品です。

原爆ドームの近くで行われたあるイベント。
「物作りで広島の未来を描く」をテーマに広島で活動する職人や作家がトークショーを行ったほか、特別な素材で作られている平和をコンセプトにした様々な作品が並べられていました。

「晃祐堂」取締役社長・土屋武美さん:
被爆樹木。戦後、草木も生えない中残っていた。絶対に形にしたい。

被爆者の平均年齢が86歳を超え「被爆者なき時代」も近づいている中、物作りを通して広島の真実を引き継いでいきたい。
広島の匠の技と被爆樹木を組み合わせた平和を祈る筆づくりとは。

広島の伝統的工芸品・熊野筆を製造する「晃祐堂」。

熊野筆とは主に動物の毛を原料に使い、職人による熟練した技術で作られた化粧筆・書道筆などのことをいいます。

職人たちは70以上にも及ぶ工程をほとんど手作業で行い、筆の長さや量を均一に整えていくことで繊細な毛先で丈夫な筆が完成。
まさに職人技です。

「晃祐堂」取締役社長・土屋武美さん:
熊野町は筆の町。歴史としたら約180年ある。

戦後80年の節目を迎え、物作りを通して被爆の真実を伝えていきたいと新たな商品開発をスタートさせた晃祐堂。

地域に根差した商品開発を行う「Sakuro」と連携し、特別な素材を入手しました。

「晃祐堂」取締役社長・土屋武美さん:
被爆樹木。その時使わせてもらったのが、三篠神社の樹齢120年ほどのクスノキ。被爆樹木の歴史をつなぐことができたら感動が広がる。平和を祈る熊野化粧筆。持ち手の部分に被爆樹木という力強いものが付いている。

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され約14万人の命が奪われました。
また、爆心地から2km以内の建物もほとんどが倒壊しました。

その原爆の熱線や爆風を受けながらも生き延びた被爆樹木。
今回、使用したのは爆心地から1850メートルの地点で被爆したクスノキです。

被爆者の高齢化に伴い戦争の体験を語り継ぐことが困難となる中、復興への象徴として生きる被爆樹木の存在は大きいといいます。

「晃祐堂」取締役社長・土屋武美さん:
平和って当たり前の時代のようで、世界的に見ると当たり前ではないから。平和っていうキーワード、非常に大事なもの。情報発信するためには広島からしていかないといけない。われわれの工芸品は人間の気持ちがこもっている。

暮らしの中にある道具に平和への祈りを込めることで被爆樹木の存在を初めて知る人もいました。

平和を祈る熊野化粧筆を購入した人は「娘が来ていたので記念に。肌にも良さそう」と話していました。

さらに若い世代に、物作りを通して戦争や核兵器の恐ろしさも伝えていきたいと定期的にイベントも開催。

被爆樹木を活用したキーホルダー作りに、平和を祈る熊野化粧筆を使ったメイクショーなどを行い、会場には多くの人が集まりました。

「晃祐堂」取締役社長・土屋武美さん:
色んな物作りが広島でされているので、被爆樹木に基づいた物作りをする人も増えてくる。特に広島でできたものとなると、平和というキーワードが付くことでより力強いメッセージが発せられる。