日航機墜落事故から12日で40年です。
FNNは、遺品と向き合うある遺族の思いを取材しました。
小林由美子さん:
今の気持ち、本当に会いたいなあっていう気持ちしかなくて。
1985年8月12日、日本航空123便が御巣鷹の尾根に墜落。
520人が犠牲になりました。
埼玉県に住む小林由美子さん(66)は、事故で弟の加藤博幸さんを亡くしました。
博幸さんは21歳の若さでした。
小林由美子さんは、博幸さんのことを「人を笑わせる子でした。陽気で、本当に陽気でした」と話します。
博幸さんは、中学生のころから視聴者参加型のテレビ番組に出演。
お笑いの道を志します。
都内のショーパブのステージを中心に活動し、テレビや雑誌などにも登場。
まさに、夢に向かって走り続けていました。
当時博幸さんとコンビを組んでいた寺門史明さん(62)は、「初めて会った人も、もう忘れないみたいな。強烈なインパクトだったんです。海水浴とか行くじゃないですか。『寺門、これからやろうぜ』って、いきなりショーを始めるんですよ。そのころちょくちょくテレビとかも出てましたんで、(周りの海水浴客も)『なんかみたことあるやつだな』と」と語りました。
しかし、別れは突然訪れます。
小林由美子さん:
飛行機に乗る前に電話で、「8月15日に帰るからその時会おうね」ってのが最後の電話。
博幸さんの死を受け入れられなかった小林さんは、この40年、遺品を直視できなかったといいます。
小林由美子さん:
ひょっこり帰ってくるんじゃないかみたいな。手に取ることは40年間(博幸さんの死を)認めたくなくてできなかったんですけども。
事故を風化させたくないとの思いから、40年にして初めてじっくりと手に取ったといいます。
小林由美子さん:
私が驚いたのが10円玉。こんなに曲がっちゃって。
ひしゃげるように形が変わったコインが、事故の衝撃を物語ります。
小林由美子さん:
「1回笑うと嫌なこと1回なくなるよ」ってのが弟の口癖だったので、これを見た時、胸がいっぱいになったんですけれども、弟のためには笑って進まなきゃいけないのかなとも思ったんですけども、涙がこみ上げてきました。
あれから40年。
小林さんは、「人を乗せる仕事をしている以上は、命を乗せているわけだから、私たちの40年の思いを胸に入れて運航してほしい」と願っています。