8月3日、“日本一過酷な駅伝”と称される、「富士登山駅伝」の第50回目が開催されました。

1976年に始まった、富士山の登山道を駆け抜ける「富士登山駅伝」。
コースは、富士山の山頂までを往復する全長48.19km。標高差3199mは、駅伝では世界一の高低差です。

日本一過酷と称される大きな要因は、往路と復路を「同じランナーが走る」という点です。往路4区で山登りしたランナーが、復路8区でも山下りをしなければなりません。

中でも危険なのが、7区から8区の「タスキ渡し」。富士登山御殿場ルートの名所「大砂走り」で、転倒などに耐えながら、泥だらけでタスキ渡しをします。
“日本一過酷” 富士登山駅伝に密着
2025年、50回目を迎えた「富士登山駅伝」当日。競技場には、北は北海道、南は鹿児島まで、全国各地から101チームが集結しました。

レースでは、一般の部と自衛隊の部で分かれて順位を争います。
注目は、自衛隊の部で無類の強さを誇り、今年、最多連覇記録の更新を目指す地元・御殿場の絶対王者「滝ヶ原自衛隊」です。

滝ヶ原駐屯地 堀和則広報班長:
前人未到の9連覇がかかっておりますので、2番はいらないと監督一同言っております!

スタートピストルの音と共に、一斉に競技場を飛び出したランナーたち。
まずは勾配のあるロード区間を駆け抜け、富士山の入り口を目指します。
第4区は、富士登山駅伝の神髄、山登り区間。距離は3kmに満たないものの、660mもの高低差と、富士山特有の漆黒の火山灰地がランナーを苦しめます。

さらに、各チームのエース格が揃う“華の5区”では、驚異の1000m超えの高低差が襲いかかります。酸素も薄まる中でランナーを跳ね返す、無慈悲な山登り区間です。

第6区は7.5合目の山小屋をスタート。標高3720mの山頂で折り返すと、来た道をそのまま引き返す日本一過酷なUターンコース。
山頂で登頂したことを示す御朱印を受け取ると、休む間もなく、来た道を全速力で駆け下ります。

先頭で山頂へたどり着いたのは、絶対王者・滝ヶ原自衛隊。
疲れた様子を見せることもなく、猛スピードで来た道をくだっていきます。

番組スタッフもなんとかついて行こうと試みますが、わずかな距離でもぐんぐんと背中は小さくなっていきました。

「サン!シャイン」が注目する、神奈川県のチーム「ランニング逗子」から出場の高校2年生小川哲平さん(17)も、この第6区を走ります。
ランニング逗子 小川哲平さん(17):
風も吹いてきたんですけど、まだ絶好のコンディションだと思うので、前狙って頑張ります。

登りが足にこたえたのか、太ももに手を当てながら登頂。
しかし、御朱印を受け取ったあとは、まるで疲労が回復したかのように、危険な岩場をもろともせず、果敢に駆け下りていきます。

区間賞にこそ届かなかったものの、自己ベストをたたき出し、区間5位という堂々たる結果となりました。
悪天候がランナーを襲う
そして、いよいよレース終盤の8区。過去の大会で幾度もランナーを苦しめてきた大砂走りでの「タスキ渡し」が行われます。

選手が転がり落ちることもある、ただでさえ危険な大砂走りでのタスキ渡しですが、今年はさらに“急な天候悪化”が選手たちに襲いかかります。

それでもランナーたちは、雲がかかり視界不良の中を、臆することなく突っ込んでいきました。

自衛隊の部は、王者「滝ヶ原自衛隊」が驚異の4時間切りで前人未到の9連覇を達成。

「サン!シャイン」が注目した、小川さんが所属するランニング逗子は、惜しくも一般の部15位と、目標に掲げていたTOP10入りは逃したものの、記憶に残る富士登山駅伝となりました。

ランニング逗子 小川哲平さん(17):
過酷なレースだと思うんですけど、その分走っているときの爽快感や走り終わった後の達成感や良い景色など、その分楽しめる部分が多いレースだと思います。
(「サン!シャイン」 2025年8月7日放送)