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プレスリリース配信元:学校法人明治大学

~高標高地帯への人類適応過程の解明へ期待~

ポイント
・100年前からその存在が知られながら忘却された大雪山国立公園内の遺跡を調査。
・周氷河作用による凍結融解を受けた地表面に遺物が残されている現状。
・弓矢を携えた狩猟者らが、少なくとも3,000年前に滞在した跡である可能性。

概要
 明治大学黒耀石研究センターの堤 隆特任教授・池谷信之特任教授、北海道大学総合博物館の中沢祐一准教授、札幌国際大学人文学部国際教養学科の高倉 純教授らの研究グループは、大雪山国立公園内に残された標高約2,100mに位置する白雲岳小泉岳遺跡の考古学的な調査を実施し、高標高地帯への人類居住が少なくとも3,000年前にはなされたことを明らかにしました。
 白雲岳小泉岳遺跡は1924年(大正13年)に最初に発見され、自然・人文科学の様々な研究者らが着目してきました。しかし、この遺跡がいつどのようにして残されたのかに関する体系的な調査はなされてきませんでした。当該遺跡は環境保護区内にあるため、土を掘り返す発掘調査ではなく、歩行踏査によって地表面の遺物分布パターンをとらえました。2019年と2023年の踏査の結果、南向きの緩斜面に遺物が分布し、遺跡は南北53m×東西64mに広がることを確認しました。遺物の大きさや破砕の程度は、重力性の斜面移動が遺物の広がり方へ影響したことや、地表面の凍結融解作用の繰り返しによって遺物が堆積物内を上下移動し破砕したことを示唆しています。
 遺物の多くが黒曜石で作られた石器であることから、黒曜石の表面に形成された水和層を用いた黒曜石水和層法という年代測定法を用いて、約3,000年前の推定値を得ました。また黒曜石の元素分析から、黒曜石が大雪山と東方のオホーツク海の間にある産出地に由来することが分かりました。この特定の場所に遺跡が残された理由は仮説の域を出ませんが、石鏃(やじり)が多いことから、弓矢を携えた狩猟者らの狩場であった可能性や、山越えルート上のキャンプ地だった可能性があります。
 なお、本研究成果は、2025年7月30日(水)公開のJournal of Field Archaeology誌に掲載されました。


【背景】
 高標高地帯へ人類がいつどのように移住したのかを知ることは、私たちの祖先の極地への適応能力とその歴史的背景を理解する上で重要な根拠となります。一般に高標高地帯とは血中の酸素濃度量が著しく減り始める標高2,500m以上と定義されますが、北緯40°以北の亜寒帯にある北海道は標高2,000mを越えると高木が乏しい森林限界の上となり周氷河地形(図1)が発達します。このユニークな環境では、利用できる資源の種類や分布量も平野部とは大きく変わります。このことから大雪山系へ進出した人々は、平野部とは異なる居住様式や生存戦略を選択しなければならなかっただろうと予想できます。
 大雪山系の白雲岳の近くに位置する白雲岳小泉岳遺跡(図2)は、1924年(大正13年)に塩谷 忠(大雪山調査会)らが最初に発見し、その後も様々な自然・人文科学分野の研究者らが着目してきた遺跡です。しかし、学界では永らく忘却され、体系的な考古学調査も実施されておらず、遺跡の範囲などの基礎データはもとより、大雪山へ進出した人類がいつどのようにこの遺跡を残したのか、その理由は何であったのかといった疑問も明らかになっていませんでした。これらの課題に取り組むため、本研究グループは、2019年と2023年に白雲岳小泉岳遺跡の調査を実施しました。

【研究手法】
 地表面に散布する遺物を複数名による歩行踏査によって確認しました。GPSを用いて個別の遺物の位置情報を取得し、質的特徴(形態、技術、部位など)や量的属性(最大長、重量)などを記録しました。
 2019年度に環境省と文化庁の許可を得て回収した黒曜石石器(図3)をサンプルとし、黒曜石水和層法を用いた年代推定と蛍光X線を用いた黒曜石の産地推定を実施しました。黒曜石水和層法は、石器を作った際に黒曜石の露出した表面から一定の率で水が内部へと拡散することによってミクロの水和層ができることから、その層厚と水の拡散速度を利用して石器が作られた古さを算出する方法です。黒曜石の産地推定とは、蛍光X線によって黒曜石固有の元素組成を定量化し、その石器がどこの黒曜石産出地に特有な元素組成と一致するかを調べることによって、遺跡に残された石器の産地を明らかにする方法です。

【研究成果】
 2019年と2023年の2度の歩行踏査によって、白雲岳小泉岳遺跡の範囲―南北53m×東西64m―を確認することができました。2019年と2023年に記録した遺物の散布パターンには統計的にも違いがない点も明らかになりました。これは、地表面に広がる遺物が同一の遺跡から由来することを示します。
 踏査で確認した遺物は黒曜石で作られた石器でした。これらの遺物の大きさが概して小さい傾向にあることから、その理由について、周氷河環境の地表面に置かれた遺物に対して物理的な要因によるソーティングが生じた可能性と、先人(大正・昭和期の調査者ら)にとって目につきやすかった大きめの遺物が拾い尽くされた結果であるという可能性を考慮しました。遺物の大きさ・破砕頻度・空間的位置の検討結果からは、前者が支持できます。つまり、地表面の凍結融解によって堆積物の中を遺物が上下方向へ移動することによって小さくて細かな石器へと断片化し、かつ地表面で作用した重力性の移動によって大きめの石器はより遠くへと運ばれたというプロセスを考えることができます。
 黒曜石水和層法による年代推定では、約3,000年前(3,318-2,966年前)の年代値が得られました。蛍光X線分析による黒曜石石器の元素組成に基づく産地推定の結果は、サンプルとした黒曜石が大雪山と東方のオホーツク海の間に所在する産出地(白滝・置戸・留辺蘂)と対応することが分かりました。
 この場所に遺跡が残された理由は仮説の域を出ませんが、石鏃(やじり)が多いことから、弓矢を携えた狩猟者らの狩場であった可能性や、彼らが移動する山越えルート上のキャンプ地であった可能性があります。

【今後への期待】
 埋蔵文化財とも呼ばれる現代日本列島の文化資源から明らかとなる過去の無文字社会の具体像は、大部分が平野や台地の上の発掘調査成果に立脚しています。一方で、高標高地帯では考古学的調査は行き届いておらず、無文字社会における人間活動の多様性については未解明な部分が少なくありません。特に森林限界を越えた高標高地帯では主体的な学術調査が不可欠ですが、平野部のようには調査の手が及んでいないのが現状です。さらに21世紀現在、温暖化などの地球規模の環境変動の影響を受けやすい脆弱な土地でもあります。
 大雪山の登山道では地表面の浸食も進みつつありますので、遺跡の中長期的なモニタリングなどによる、文化資源の保護へ向けた取り組みが求められます。大雪山系には、報告した白雲岳小泉岳遺跡とは性質が異なる遺跡も潜在することが予想できます。今後も踏査を継続することによって、高標高地帯への人類の進出と適応がいつどのように達成され、それがどのような背景だったのかという人類進化史的な疑問へ答えることができるだろうと期待しています。

【謝辞】
本研究はJSPS科研費JP23K00942、JP21H00599の助成を受けたものです。

論文情報
論文名 Human adaptation to the high-altitude permafrost zone at Daisetsuzan National Park,
Japan(大雪山国立公園の高標高永久凍土地帯への人類適応)
著者名 中沢祐一1、村本周三2、赤井文人3、山田 哲4、高倉 純5、瀬下直人6、山原敏朗7、中村雄紀4、堤 隆8、池谷信之8(1北海道大学総合博物館、2北海道庁、3北海道教育委員会、  4北見市教育委員会、5札幌国際大学、6遠軽町教育委員会、7独立研究者、8明治大学黒耀石研究センター)
雑誌名 Journal of Field Archaeology(考古学の専門誌)
DOI 10.1080/00934690.2025.2536348
公表日 2025年7月30日(水)(オンライン公開)


図1.周氷河地形



図2.遺跡の遠景



図3.黒曜石石器


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