「縦に並べるだけ」の発想が世界の“記憶”を変えた
ハードディスクドライブ(HDD)の小型化・大容量化を可能にした「垂直磁気記録方式」を発明し、デジタル社会の進化を支えた東北大学特別栄誉教授・岩崎俊一さんが、7月25日、肺炎のため仙台市内の病院で亡くなった。98歳だった。
「横に並べていた磁石を縦にするだけ」その単純に見える発想が、世界の記録媒体を変えた。「コロンブスの卵」とも呼ばれた発明の舞台裏には、信念と継承、そして30年越しの逆転劇があった。

画期的「縦にした」発明 垂直記録の誕生
岩崎俊一さんは福島県郡山市出身。東北大学工学部を卒業後、1959年に工学博士号を取得し、東北大学電気通信研究所で磁気記録技術の研究に取り組んだ。
1977年、同研究所の教授として発表したのが「垂直磁気記録方式」だった。
当時主流だったHDDの記録方式は、磁性体を横に寝かせて並べる「水平記録」だったが、記録密度を高めようとすると、磁石同士の反発によってエラーが増えるという課題があった。
そこで岩崎さんが提案したのは、「磁石を縦に並べる」という方法だった。磁石が引き合う方向に配置すれば、より小さな磁石を安定して並べられ、記録密度も飛躍的に向上する。
岩崎俊一氏(2007年取材):
「横のものを縦にした、大変その頃は評判になった。非常に簡単な出来事だからね。コロンブスの卵かって言われたこともある。それよりもっと深かったんだよ」
この“縦にしただけ”の発明が、のちにHDDを根本から進化させる礎となる。

評価されなかった技術 続けたのは“本質”を信じたから
画期的に見えた垂直記録方式だったが、その道のりは平坦ではなかった。
アメリカの企業が水平記録方式のまま記録密度を高める技術を開発し、垂直記録は次第に主流から外れていく。学会でも注目されず、風当たりは強かった。
東北大電気通信研究所 村岡裕明教授(2007年取材当時):
「逆風でしたよ。それは逆風でした。学会に行っても聞いてくれないですね」
東北大 中村慶久名誉教授(2007年取材当時):
「でも何でこんなにいいのが分かってくれないんだ、というのがものすごく強い印象でした。それでもやめる気はなかったですけれどね」
それでも、岩崎さんは研究を止めなかった。
岩崎俊一氏(2010年取材):
「本質的な大事な仕事をやると、やり続ける。それが結局、時代が必要とするものになっていくんでしょうね」
“社会にとって本当に必要な研究かどうか”という価値基準を、岩崎さんはぶれることなく持ち続けていた。

教え子たちが起こした逆転劇 世界が追いついた
垂直記録方式は、東北大学の門下生たちによって再び命を吹き込まれる。
2000年、日立製作所に所属していた高野公史さんが、岩崎研究室で学んだ技術をもとに、世界最高の記録密度を持つ垂直記録HDDを開発。これが世界中で再評価されるきっかけとなる。
日立グローバルストレージテクノロジーズ技術開発本部
高野公史本部長(2007年取材当時):
「大学時代からずっと垂直記録を実現するという夢を持ってやってきましたので、脚光を浴びた時は非常にうれしいものでしたね」
さらに2004年には、同じく岩崎研究室の出身である田中陽一郎さんが率いる東芝が、世界で初めて垂直磁気記録方式を採用したHDDの商品化を実現。
東芝 HDD商品企画部 田中陽一郎部長(2007年取材当時):
「我々が最初に出したということで、これは実用化に十分値する技術なんだと実証できた。そのインパクトはたいへん大きいし、それをやってきた者としては嬉しいですね」
岩崎俊一氏(2007年取材):
「日立も東芝も一生懸命で、東北大の研究者も研究をやっていて、実用化は嬉しかったですよ」
発明から30年近く経ち、垂直磁気記録方式はHDDの世界標準技術となった。

「文明の利器になるために」名誉よりも社会への貢献
垂直記録方式の実用化は、HDDにとどまらず、ビッグデータ、動画配信、クラウドストレージといった今日の情報社会の中核を支える基盤技術となった。
2010年、岩崎さんは日本の科学技術分野で最高の栄誉とされる「日本国際賞」を受賞。授賞式には天皇皇后両陛下も臨席した。
岩崎俊一氏(2010年取材):
「この上ない名誉。この技術が将来にわたって真に『文明の利器』として社会に貢献できるように、今後も研究を続ける」
岩崎さんが理事長を務めていた東北工業大学には、実用化された垂直記録HDDの「第1号機」が大切に展示されている。
信じた道をやり続けた人が、時代を変えた
岩崎俊一さんは1989年に東北大学を退官後、東北工業大学で学長・理事長を歴任し、2016年からは名誉理事長を務めた。2013年には文化勲章を受章し、仙台市名誉市民、日本学士院賞、文化功労者など数々の栄誉に輝いた。
2023年には、米国電気電子学会(IEEE)が「垂直磁気記録方式」を“歴史的偉業(Milestone)”と認定。発祥の地である東北大学にマイルストーン賞が贈られた。
「本質をやり続けた」
その信念が、世界の技術と社会を支える力になった。
HDDという記録装置の中に、そして教え子たちの中に、岩崎俊一さんの仕事と志は、今も脈々と記録され続けている。
