福井県内の魅力を再発見する小さな旅「小旅」のコーナーでは今回、越前焼発祥の地とされる越前町の平等地区を訪ねます。約850年前に始まった焼物産地の歴史が、至所で感じられる場所です。

越前町(旧織田町)に位置する平等地区は、古く平安時代から焼物作りの村として知られ、越前焼の発祥の地とされています。
 
平等地区にある工房「豊彩窯」の吉田豊一さんは、平等生まれ平等育ちの窯元です。「地元で取れる土を大事にして使っている。やっぱり気をてらっていない、素朴な感じが越前焼の魅力。こういった静かなところで作りたいので、そこも魅力」
  
豊彩窯では工房見学も可能で、作陶に取り組む作り手の姿を間近で見たり、土を触ってろくろを回したりすることができます。

吉田さんに、生まれ育った平等地区を案内してもらいました。細く緩やかな坂道が迷路のように入り組んでいます。
 
まず案内してくれたのは、全国的にも珍しい「甕墓(かめはか)」と言われる墓です。
 
吉田さんによりますと「骨を埋めて、上に日よけや雨除けの意味を込めて大きな甕(かめ)をその上に伏せた」といいます。
 
越前焼に従事し、この地で無くなった人たちの魂を供養するため、心を込めて甕を焼きお墓にした―
 
そんな焼物産地ならではのストーリーを、この甕墓が物語ります。

江戸時代、平等は江戸幕府直轄の領地でした。地区の神社の社殿にある、葵の御門がその証です。
 
そして境内には炎の神様を祀った社が。ここにも、焼物の産地の歴史が垣間見えます。
 
さらに先にへと、吉田さんが案内してくれました。「この辺はずっと窯跡です」
  
山道を抜けると広がっていたのは、日本の原風景。「この山並みがずっと日本遺産です」
 
越前焼をはじめとする「日本六古窯」は、中世から連綿とやきものづくりが続き、丘陵地には窯跡や工房へ続く細い坂道が迷路のように入り組んでいる、日本の原風景に出合うことができるとして、2017年に文化庁の日本遺産に認定されました。 

越前焼の産地としての始まりは平安時代末期。越前町には200基以上の焼き窯の遺構「窯跡」が発見されています。そのうちの一つが、室町時代後期に作られた「岳の谷窯跡」です。全長約25メートル、最大幅5.5メートルの大窯で、甕(かめ)や壺、すり鉢など一度に1300個ほどを焼成していたという言わば“巨大焼物工場”です。
  
このような大窯が、ここ平等の山中で毎年同時に数基ずつ稼働していました。
  
「僕たちの生きている時代なんてほんの少しなんでしょうけど、歴史をたどると違ったことで見えてくることもあると思う」そう語る吉田さん。
 
近代化による大きな産業発展がなかったからこそ、越前焼の産地・平等地区に当時のまま残る原風景。ここには平安時代から続く焼き物の歴史が、850年経った今もしっかりと刻まれています。

福井テレビ
福井テレビ

福井の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。