「当院では難しい…」
自閉症や知的障がいなど、さまざまな理由から歯科治療を断られる人たちがいる。そんな“居場所をさまよう患者”とその家族を支える歯科医師に密着。障がいのある子どもに寄り添う姿を追った。
「ようやく見つけた」歯医者さん
広島市東区にある「広島口腔保健センター」。
ここでは、自閉症や知的障がいのある人など、一般の歯科医院では治療が難しい患者たちの診療を行っている。

「病院嫌いで暴れてしまう子なので」
三宅真弓さん(44)は、息子の歯を治療してもらえる場所をようやく見つけた。12歳の結都(ゆうと)くんには自閉症と知的障がいがある。待合室をウロウロと、立ったり座ったり落ち着かない。不安を紛らわせようとしている。

担当するのは広島口腔保健センターの歯科医師・尾田友紀さん(51)。
「初めまして、尾田と申します。今日することは、最初にお話をする。歯をみがく。鏡で見る。結都くん、できそう?」
まず、診療前にイラストを見せながらわかりやすく説明。知的障がいがあれば、なぜ虫歯の治療をするのか理解することも難しい。「わかってもらうための努力をしなければいけない」と尾田医師は言う。
さらに「鎮静薬」を注射して緊張を和らげる。
鎮静薬は専門の歯科医師が取り扱う必要があり、一般の歯科医院ではほとんど使われない。
今回の場合、「痛いことをされるのではという不安を取り除きたい」と本人の気持ちを最優先に考えた。

注射をひどく嫌がり逃げ回っていた結都くんだが、鎮静薬を打つと眠くなっていく。治療はスムーズに終わり、母・真弓さんもほっとした様子。
尾田医師は、一人ひとりの“苦手”を想像しながら治療にあたっているという。
「自閉症の人は思いもよらない過敏がある。歯を削る音、バキュームで吸う音、ここは嫌な音であふれています。ライトの光がストレスになることも。歯科医院は苦手が凝縮された空間なんです」
全国的に少ない“障がい者専門歯科”
福山市松永町から訪れた家族もいた。

尾道市のかかりつけ医から「親知らずの抜歯は難しい」と断られたそう。患者の父親は「2時間ほどで来られます」と話す。片道2時間も遠くないーそう思わせるほど、障がい者の家族にとって頼れる場所なのだ。

障がいのある人を専門に治療する歯科治療施設は全国的に少ないと言われている。
尾田医師がこの道を目指したきっかけ。それは、研修医のころ、初めて治療した障がい者との出会いだった。
「困っている人たちが“できるようになる瞬間”を見たとき、口の中を見るだけではなく患者の人生と深く関わる歯医者でいたいと思いました」
恐怖の記憶をどう乗り越える?
母親と手をつなぎ、女の子がやってきた。
広島市内に住む6歳の下西あさひちゃん。自閉症と知的障がいがある。
「一般の歯科に行っても暴れたりして見てもらうことが難しい」と母・悠子さん(41)は話す。

この日はお姉ちゃんも一緒で、あさひちゃんはニコニコ顔。しかし、いざ治療台を前にすると“何をされるかわからない恐怖”が襲いかかる。
「ベッドにゴロンしよ」
尾田医師がやさしく声をかけても治療台に上がることができない。あさひちゃんは母親と姉の間に座り込んでしまった。
その様子を見ていた尾田医師は“別の方法”をとった。
「お母さん、待合室に戻りましょうか」
待合室の床に広げたのは「歯科治療用シート」。横になる位置がひと目でわかるため、抵抗感が減るという。

あさひちゃんはためらうことなくシートの上に寝転んだ。
「えらい!ゴロンできた」
そのまま歯を磨いてもらうこともできた。
同じシートを診療台に取り付ければ、今度こそ…。
ところが、あさひちゃんはすぐさま治療台から下りてしまった。
結局この日は「歯磨き」だけで診療を終えた。
「治療台が高い位置にあることが不安だったのかもしれない。何が引っかかっているのか想像するようにしています」
歯科医院で何人かに羽交い絞めにされ、それ以来、治療台に上がれなくなった人もいるという。一度でもそんな経験をすると払拭するのは大変だ。「特に自閉症の人は記憶に刻まれる」と尾田医師は指摘する。
障がい者も“あたりまえ”の社会へ
セミが鳴き始めたころ、あさひちゃんは再び広島口腔保健センターを訪れた。
診療を待つ間、いつも歯磨きのときに見る“母手作りの絵カード”をめくっている。

待合室に尾田医師がやってきた。
「こんにちは。お母さん、そのカードを見てもいいですか?」
尾田医師も絵カードを使って話しかける。
「今日、ここで歯磨きをする。うがいをする。行こうか」
その言葉に、あさひちゃんが明るい声を返した。
「うがいをしよ!」

この日、あさひちゃんは治療台に座れた。
「くちゅくちゅぺ、できた。えらい!」
母・悠子さんもうれしそう。
「がんばったね。一歩進みました」
尾田医師は「うがい」の絵カードに反応するあさひちゃんに気づいていた。
「うがいをしたいんだろうなと。今日は治療台に座れたので、次は座った状態で歯磨きできるかも」
無理やりではなく、一歩ずつ。時には「やめよう」という医師の判断が患者との信頼関係を深めていく。
あさひちゃんは得意そうに治療台から下りて、尾田医師とハイタッチ。待合室へと走っていった。
その背中を見つめるまなざしは穏やかだった。

障がいのある人もない人も分け隔てなく歯の治療を受けるにはどうすればいいのだろう。
「彼らがなぜ地域の歯医者で治療できなかったのか。何が好きで、何が苦手なのか。想像しながらヒントを探しています。待合室でウロウロしている人もいるし、飛び跳ねている人や車椅子の人もいる。いろいろな人が地域の歯科医院にいてあたりまえの社会になるのが理想です」
患者一人ひとりに寄り添う思いやりと工夫。ほんの少しの「想像」によって、誰かの居場所は守られるのかもしれない。
(テレビ新広島)