戦後80年を迎えた与那国島では、台湾有事を巡る緊張が高まる中、住民が防衛強化や避難体制に不安を抱えている。島には戦時遺跡と最新レーダーが並んでおり、島の要衝性や歴史を背景に、平和への願いと将来への懸念が交錯していた。
島民が語る“台湾有事”を巡る生活の変化
24日、多くの尊い命が奪われた沖縄戦から80年の慰霊の日を迎えた沖縄・与那国島を取材した。
青井実キャスター:
見えてきましたね。あそこも自衛隊のレーダー、施設ですね。

2025年、日本は戦後80年の節目の年を迎えた。イット!の青井キャスターが訪れたのは、沖縄本島から約500km離れた日本最西端の島、沖縄・与那国島だ。
青井キャスター:
やっぱり近くまで来ると大きいですね、レーダーの施設。本当に日本の防衛の最前線だなということがここを見ても分かりますね。
1944年から与那国島ではアメリカ軍の空襲などにより、島の集落や日本軍の見張り所などが攻撃され、多くの島民が避難を余儀なくされた。
青井キャスター:
結構小さい子もいますね。もっといないのかと思ってた。
今も島内には少なくとも、田原川の壕、カマヌヌ、ブナビダヤ、クブラバルダヤ、桃原の避難壕、比川の避難壕、潮原の陸軍兵舎跡、伊波南哲詩碑など、約8カ所に戦争に関連する遺跡が残されているという。

戦時中、島民たちの生活は熾烈を極めた。それは、現代を生きる私たちの想像を大きく越えていた。
戦争の傷跡が、自然豊かな島に今も深く刻まれている。島に暮らす人が抱える不安を聞いた。
青井キャスター:
いま、平和ですか?
島民:
平和と言えば平和だと、今はね。ただ…きな臭い、なんとも言えないのがあるよね。だって現実にそういう訓練してるもんね。我々も含めて台湾有事に。
島民:
中国は台湾の問題であれだけ悩んでるから。なんでそんなことするのかな。
島の人が口にしたのは、与那国島にとって沖縄本島よりも近い場所にある台湾を巡る生活の変化だ。

今懸念されているのが、中国が台湾に武力で侵攻する事態、いわゆる“台湾有事”だ。近年、中国軍は、与那国島のすぐ近くの台湾を囲むような軍事演習を繰り返していて緊張が続いている。
一方、台湾側は中国軍の動きの監視と警戒体制を強化している。軍事的緊張が高まる中、台湾から約110kmの距離にある与那国島も、その影響を受けている。
与那国島では、古くからカジキやマグロなどの回遊魚が多く水揚げされている。島を取り巻く環境について、漁港で働く人に話を聞いた。
与那国町 漁業協同組合・嵩西茂則代表理事組合長:
(台湾は)日本との関わりも友好関係を築いている。台湾については心配していない。中国というのはちょっと一筋縄ではいかないというのがあるんでね。2、3年…2年前ですか?ミサイルの発射、あれから急激に中国との関わりが浮き彫りになってきた。
2025年4月にも中国軍は大規模な軍事演習を行い、台湾周辺での軍事圧力を常態化させていている。

一方、台湾軍もアメリカからの武器輸入などに加え、ドローン開発など対応を強化している。
青井キャスター:
ミサイルの発射以降、緊張感や不安が増しましたか?
与那国町 漁業協同組合・嵩西茂則代表理事組合長:
そうですね。あれから状況が一変したと思います。我々も中国の演習があるとなると、慎重になりますので。
日本政府は台湾有事などに備え、2016年に陸上自衛隊与那国駐屯地を開設した。日本の南西地域の防衛を強化する、いわゆる南西シフトが進められた。

陸上自衛隊の沿岸監視隊が配備され新たな監視施設を建設し、最新のレーダーシステムを備えた施設も誕生した。
そうした島の防衛を担う拠点の約1㎞ほどの場所にも、戦争の爪痕が残っていた。
青井キャスター:
ありました。宇良部岳という与那国で一番高い場所です。旧日本海軍の映像を監視する場所が当時あった場所に、また新たに映像監視システムが建てられているんですね。

宇良部岳には、当時台湾や南方海域の監視のためのレーダーなどを設置していた。その後、アメリカ軍機の動向も監視した。
1944年以降には激しい空襲を受け、兵舎が破壊されるなど、甚大な被害を受けた。
青井キャスター:
当時、監視所があった場所にまたレーダー、装置が設置されているということで、島の皆さんが不安になるなという感じは見受けられますね。
有事の際の島民の避難が課題に
与那国は、有事を想定し、軍事施設を拡大させてきた。こうした中、島に暮らす人たちは何に不安を感じているのか、その本音を聞いた。

島民:
今、地元の若い人が特にいないので、だからそこが問題ですかね。自分たちより下の世代がいないので、後継者がいないから、そこで色々悩んでいる。
島民:
私、いつも朝散歩して色んな船見るからね。だから(台湾有事)そろそろかね。怖いなって不安はありますよ。離島なので逃げるところもないし、飛行機だって小さいでしょ。
島民から、様々な不安な声が上がっている。その中で与那国島の課題となっていることの一つが、有事の際に想定される「島民の避難」だ。
与那国島に住む、約1700人の人々の避難方法について町役場の防災担当者はこう話している。
与那国町 防災担当・洲鎌浩二さん:
今、与那国町の方では航空機は、与那国から直接福岡空港。その後バスで佐賀市と佐賀・鳥栖市の方に避難して。船の場合はまず与那国から石垣島の方に行って、石垣島から那覇に行って、那覇から鹿児島航路で鹿児島までが船舶の避難ルートになってます。
しかし、避難を巡っては大きな課題もある。

与那国町 防災担当・洲鎌浩二さん:
介護認定を受けている方の中でも、やっぱり寝たきりとか病気を持っている方とか、乗せられない方がいた場合には船の避難になるので。あと家畜とかペットとか、やっぱりペットが一緒じゃないと避難しないとか、そういった意見もあったので。
青井キャスター:
細かいニーズにも、応えていきたい思いもあるんですね。
与那国町 防災担当・洲鎌浩二さん:
この課題についても、国も県もやっぱり土俵に上げている課題ですので、なかなか解決は難しいところではあるんですけど。
また、与那国島の町長に話を聞くと、島を取り巻く環境は私たちが考えている以上に深刻だという。

与那国町 糸数健一町長:
与那国島っていうのは、もう逃れることのできない要衝にある。台湾海峡問題というけれども、場合によっては、下手すると与那国海峡問題になってしまう。だからそれは本当に人ごとと考えずに、日本国民全員が真剣に考えるべき問題だと思うんですよね。
戦後80年を迎えた日本、現在の与那国島について島民はこう話す。
島民:
平和かと言われるとどうかな、どこまで平和かな。分からないですけど。(与那国島が)好きだからこそ変わってもらいたいし、先祖は歌にして生きてきた。辛い時も悲しい時も。与那国小唄というのがあるんですけど、その歌をみんな忘れてる。
美しくのどかな島に、不安が見え隠れしている。与那国島では、辛い時などに歌われてきた歌があるという。

♪与那国小唄:
サーサ ユイヤ サッサ 与那国良い島 情け島 サノサッサ 宇良部ふもとの水田の稲も島の娘の情けにのびて 年にお米が 年にお米が二度とれる サノサッサ
在日米軍基地の約7割が沖縄に集中しており、日本の安全保障の負担の多くを担いながらも、今や危機とも隣り合わせとなっている。
(「イット!」6月23日放送より)