広島に訪問されている天皇皇后両陛下は、被爆者らとも懇談されています。この懇談に去年から語り部として活動をはじめた被爆者が臨みます。90歳を超えて語り始めた
被爆者が伝えたい思いとは?
原爆で犠牲となった「旧制広島県立広島第一中学校」の生徒・職員369人を追悼する慰霊碑。
そこでたたずむ一人の男性、被爆者の才木幹夫さん(93)。被爆当時、この学校の中学2年生でした。
【才木幹夫さん】
「私たちが生き残って、彼らがみな亡くなってしまった。ここに来るたびに申し訳ないという気持ちがわく」

「死臭がたまらなかった」才木さんが見たヒロシマの街
1945年8月6日、才木さんは爆心地から2.2キロ離れた、現在の広島市南区段原の自宅にいました。
【才木幹夫さん】
「靴を履こうと思ってたんです、屈みこんでる時に。光も見えないんだけど、真っ白い体験したことのない強烈な明るさ、それが体中を覆ったことを覚えている」
あの日の悲惨な記憶は今も脳裏から離れません。
【才木幹夫さん】
「入ってみて本当に焼け野原だから何にもない。(被爆者の)髪の毛は逆立って縮れている。皮膚はやけどで垂れ下がって、水ぶくれが破れて。匂いは本当にもう死臭がたまらなくて、今でも覚えている。つばを吐くのもよく吐けない、口の中にいっぱいだった」

「”生きているつらさ”はある」生死を分けた偶然に苦しんできた80年間
才木さんはあの日、本来なら爆心地から800mほど離れた、現在の広島市中区土橋付近で、空襲による火災が広がらないように、あらかじめ建物を壊す「建物疎開」を行う予定でした。
【才木幹夫さん】
「(土橋で)作業するはずだったのが、6日が休みで助かった」
急きょ当日の朝、才木さんの学年は休みとなったのです。
一方、作業に出ていた1つ下の中学1年生はほとんどが亡くなりました。4月1日に生まれた才木さん。誕生日が4月2日だったら中学1年生でしたが、1日早く生まれたことで1つ上の学年でした。
【才木幹夫さん】
「一期下に(親しくしていた後輩が)2人いる。校舎の下敷きになって亡くなった」
本当に紙一重で学年が違ってたかも分からない。一期下だったかも分からない。なんで僕が生きてるんだろうと思うことがある。それが今になったらおかしいけど、後ろめたさを当時の人はみな持っていた。”生きているつらさ”はある」
「生きているつらさ」生死を分けた偶然に苦しみ、戦後78年間、あの日のことを語ることはありませんでした。

胸にしまい込んでいた被爆体験 でも今は”伝えたい”
しかし、ある出来事が才木さんを突き動かします。
【才木幹夫さん】
「ロシアによるウクライナ侵攻。核を脅しに戦争をしているのはいけないと思って、これは証言をやらなければならないと」
衝動に駆られ、何十枚にも書いた原稿を広島市に提出。
去年4月、自らの被爆体験を伝える「被爆体験証言者」の委託を、広島市から受けました。求められれば積極的に自身の体験を語っています。
【証言の様子】
「被爆者たちが男女の区別が分からないぐらい、大変な格好をしています。頭が真っ黒で、膨れあがって、もう目も開けられない状態。その姿を見て哀れみと怒りと本当に湧き上がってきました」
長い間、胸にしまい込んだ悲惨な記憶。でも今は、志半ばで亡くなった被爆者たちの無念の思いを背負い、自らの目に映った”あの日”を伝えています。
【証言の様子】
「(被爆者が)”水をください”って言う。ポンプで水を汲んでどんどん水をあげると、被爆者は本当に静かに水を飲んで、頭を下げて”ありがとうございました”と言って
列の後ろに去っていく。水を飲まして良かったのか悪かったのか私も見当がつきません」
【才木幹夫さん】
「生かされていることを無駄にしていけないなと思いながら、原爆証言は今、私の一番大切な大きな仕事」

両陛下に伝えたい思い
被爆証言を始めて1年…大きな依頼が飛び込んできました。
【才木幹夫さん】
「本当に光栄なことだと思った。被爆者だからこそお会いすることができる。それだけ使命が重いものがある」
広島を訪問される、天皇皇后両陛下との懇談の場に呼ばれたのです。どうしても伝えたい思いが才木さんにはあります。
【才木幹夫さん】
「死ぬも地獄、生きるも地獄、後ろめたさをずっと背負って生きていること、それだけ悲惨なもの。原爆投下だけでおしまいではなくて、生き残っているものもずっと思い続けている辛さがある。戦争とは何か、自由とは何か、平和とは何かを考えるのに、私たちが伝える原爆の悲惨さがある。被爆のそのままを伝えなければならない」

両陛下との懇談が行われる約2時間前…
【才木幹夫さん】
「こんにちは。暑いですね」
Q両陛下の印象は?
「優しい方。気配りもされている」
「実相を包み隠さず、ありのままを伝えるのがいいのではないか。広島だけでなく、全国で原爆の被害を通して、平和のことを考える人が多くなると思う」
