松山城の「良心傘」が次々と姿を消す”ミステリー”?
梅雨時の思い出、懐かしの風景をたどる。
松山城の「良心傘」が次々と姿を消す”ミステリー”から、雨漏りに悩まされた旧県武道館、そして干ばつを乗り切るための「雨ごい」まで。
昭和の時代を彩った愛媛の梅雨にまつわる物語を振り返る。

消えゆく「良心傘」、松山城の小さな騒動
今から54年前の昭和46年5月、梅雨入りを前にした愛媛県の松山城で奇妙な問題が発生した。ロープウェイの山頂側、長者ヶ平駅に設置されていた無料貸し出し傘、通称「良心傘」が次々と姿を消していったのだ。
設置から2年前、当初は200本あった良心傘は、わずか1年で20本にまで減少。その後、追加で100本を補充したものの、それも80本まで減り、2年間で計220本もの傘が行方不明になってしまった。

良心を守ってほしい
松山城管理事務所は「県外からの観光客のためにも良心を守ってほしい」と頭を抱えていたという。
雨の日でも城内を楽しんでもらおうという善意の取り組みが、皮肉にも「良心」の欠如という現実に直面したのである。

雨漏りとの闘い、旧県武道館の苦労
松山市道後姫塚にかつてあった旧「愛媛県武道館」では、昭和56年6月の梅雨時、天井からの雨漏りに悩まされていた。この雨漏りは5〜6年前から始まっていたといい、柔道の畳の上に雨がポツリポツリと落ちる状況だった。
管理人は当時の様子をこう振り返る。「大会の時に時々中断してバケツで処理するとか、途中で選手が事務所に来てバケツ貸してくださいというのがたびたび」あったという。

武道館内では大わらわ
対応に追われる武道館内では、雨漏りの下の畳を外したり、練習や試合の合間に畳を拭いたりと大わらわの状態だった。さらに雨漏り箇所の特定が難しく、県は2度にわたる対策工事を実施したものの、根本的な解決には至らなかった。
結局、旧県武道館は老朽化や規模の問題もあり、松山市市坪の松山中央公園にある現在の場所へと移転・新設されることになったのである。

水不足を乗り切れ、各地で「雨ごい」
平成6年の夏、空梅雨による水不足が深刻化すると、愛媛県内の各地で「雨ごい」が行われた。
新居浜市の船木神社では、室町時代から伝わる雨ごいの「かぶと踊り」が奉納された。これは「日照りの天気を追い払い雷さまに雨を祈る」踊りだという。男性は顔に墨を塗りつけた野良着姿、女性は赤い腰まきにかすり姿で、懸命に雨を祈り踊ったのである。
長引く渇水は人々を苦しめ、最後には「神頼み」に踏み切った地域も多かった。科学技術が発達した現代においても、天候を自在に操ることはできない。自然の前では昔も今も変わらず、人は雨を待ち望むのである。

傘をめぐる人間模様や施設との格闘…
かつての梅雨時期の風景には、傘をめぐる人間模様、老朽化した施設との格闘、そして水不足に苦しむ人々の祈りなど、さまざまな物語が詰まっていた。
昭和から平成へと時代は移り変わっても、梅雨と人々の暮らしの関わりは今も昔も変わらない。
