縄文杉ツアーは携帯トイレ必携

梅雨の晴れ間に鹿児島県の屋久島に行った。屋久島と言えば「縄文杉」だが、往復10時間歩かないと見ることができない。あらかじめ、長袖シャツに長ズボン姿で登山靴を履き、食料・水・雨具はもちろん、携帯トイレも持参するように指示されていた。

朝4時半、宿の前に迎えに来たのは大型の貸し切りバスだった。既に登山姿の人たちが乗っていたが、その後も乗り込む人がいて最終的には30人くらいになった。バスは登山口までの細い道を木の枝に触れたり、路肩踏んだりしながらもスムーズに進んでいった。

登山口にはバスのみ到着
登山口にはバスのみ到着
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登山口まで行くには、屋久杉自然館まで行き、そこから専用の路線バスで行くか、貸し切りバスで行くしかない。そのために屋久杉自然館には駐車場が整備されており、パーク・アンド・ライドになっていた。

パーク・アンド・ライドを実践中

バスを降りると、名前を呼ばれ5つのグループに分けられた。約5人の登山客に1人のガイドがついた5つの別々のツアーが共同で1台の貸し切りバスに乗っていたのだ。1台にまとめた方が効率的で環境への負荷も低くなるだろう。

「路線バスが来る前にスタートすれば、混雑を回避できる」とのことで、朝食とトイレを済ませて即出発となった。登山口には男女別の水洗トイレが複数設置されていたが、温水洗浄トイレだったのには驚いた。

登山口からトロッコ道を進む

登山道はかつて林業で使われていたトロッコの線路の間に板を敷き詰めた「トロッコ道」が続いた。トロッコの線路は現在も使われており、ガイドが定期的に枕木や板を交換しているとのこと。何度か川の上を越えたが、欄干の無いところもありヒヤリとさせられた。

屋久島は花崗岩で出来ていて、岩に苔がまず生えて、そこに植物の種子が落ちて成長する。植物は岩にしがみつくように根を張って大きくなるが、ゆっくりしか成長できず、台風で倒されることもよくあるという。ガイドは時折足を止めて、実例を示しながら細かく説明してくれた。

「100人中1人程度は、縄文杉に到着できない」

「歩き始めは、筋肉トレーニング。身体が慣れてきてから有酸素運動に変わる」
ガイドがスピードを抑え気味だったのは、そうしたことを意識してのことだった。彼は山岳ガイドの資格を持っているという。

屋久島にガイドは120人いて、世界自然遺産になる前からの地元出身のベテランや、彼のように脱サラで来たIターンでガイドもいるという。登山客の100人中1人は縄文杉に到着出来ないそうだ。

トイレには設置したスポンサー企業名
トイレには設置したスポンサー企業名

往復10時間の長丁場、トイレは途中に2カ所あった。それ以外に、持参した携帯トイレを中で使えるテントが2カ所張ってあった。

屋久杉は樹齢1000年以上、二代杉・三代杉も

屋久杉は樹齢1000年を超えたものをいう。江戸時代から伐採が進み、切り株の上に芽が着生した二代杉も数多く見られた。中には倒れた杉の幹に芽が着生した二代杉の幹が伐採され、その幹に着生した芽が成長した三代杉もあった。

伐採された切り株に着生した二代杉
伐採された切り株に着生した二代杉

倒木や伐採された幹は油分を多く含んでいて、着生した芽の栄養となる。朽ち果てるころには新しい生命は覆い被さるように根を伸ばし地面に届いている。三代杉になると、最も下の幹は消えて空洞だけが残っている。

倒木が消え空間となった三代杉
倒木が消え空間となった三代杉

倒木や伐採された幹は養分を提供するだけではない。大きな木がなくなることで、そこに陽が差すギャップ・空間が生まれるのだ。若い芽が生長することで、森は再生し循環するという。

残った屋久杉と切られたものの運命の分岐点

トロッコ道は山道に変わり、そこからは複数の屋久杉が確認できた。中には豊臣秀吉に献上するために切られたという、空洞の幹が残るウィルソン株もあった。

ウィルソン株の中は空洞に
ウィルソン株の中は空洞に

残った屋久杉と切られたものの運命はどうやって分かれたのか。木材に適した真っ直ぐで、中に空洞のないものを選んで切っていたという。残された一見すると真っ直ぐの杉でも、空洞の有無を確認するために斧が打ち込まれた痕跡が残されていた。

目的の縄文杉に到着した。3方に展望デッキが作られていてよく見える。縄文杉の維持を考慮しながら周囲の植生は環境省と相談しながら行われているという。
ゴールデンウィークには1日の登山客が800人にのぼるそうだが、この日の登山客は100人程度だったこともあり、じっくりと眺めることができた。

10時間の道のりは長く色んなことがあった。ガイドは写真撮影用にジブリのキャラクターを持ってきていた。苔の上に置いて撮影タイムを設ける。これがネットで拡散すれば新たに関心を持つ人が訪れるということか。

結局、設置されていた2カ所のトイレは往路も復路も利用した。携帯トイレは使用しなかったが、持っていることで安心できた。
【取材・執筆=フジテレビ 森安豊一】

森安豊一
森安豊一

論より証拠。われわれの仕事は、事実の積み上げであり、事実に対して謙虚でなければならない。現場を訪れ、当事者の話を聞く。叶わなければ、現場の近くまで行き、関係者の話を聞く。映像は何にもまして説得力を持つ証拠のひとつだ。ただ、そこに現れているものが、全てでないことも覚えておかなければならない。
1965年福岡県生まれ。
福岡県立東筑高校卒、慶應義塾大学文学部人間関係学科社会学専攻卒。
警察庁担当、ソウル支局特派員、警視庁キャップ、社会部デスク、外信部デスク、FNN推進部デスク、FNNプロデュース部長を経て報道センター室長。
特派員時代は、アフガニスタンや北朝鮮からも報告。