大渇水に見舞われた!
今から31年前の1994年(平成6年)の夏。愛媛をはじめ西日本各地は大渇水に見舞われた。原因のひとつは空梅雨。
1994年、梅雨期間中の雨量は平年の半分以下、しかも2週間以上も早く梅雨が明けた。このため西日本の各地は大渇水に。

異常事態に突入
市民:
「出ないの夜?ウッソー!?」
7月から夜間断水に踏み切った松山市は徐々に断水時間が長くなり、8月22日からついに19時間断水、水道が使えるのは午後4時から午後9時までという異常事態に突入した。

休業に追い込まれるところも!
松山市は市内43ヵ所に臨時の給水所を設けるなど対策をとったが、水を多く使う店舗などは休業に追い込まれるところも出る事態に。
美容室:
「お客が気を使って『家でシャンプーするから大丈夫』と励まされながら仕事をしている。」
飲食店:
「店を閉めるわけにもいかず限定メニューで使い捨て食器で対応。」
川で洗濯する市民は:
「水がだいぶある川なら良いけどこんな川で洗濯してもきれいにならん。もらってくるのも大変だし水も大切にしないと。」
松山市で断水が全面解除されたのは、冬も近付く11月。水の大切さを痛感した一年となった。

1995年は一転大雨の梅雨に
この翌年平成7年は一転大雨の梅雨に。梅雨前線の活動が活発化し、県内でも局地的な豪雨が発生した。
豪雨の影響で、愛媛県大洲市を流れる肱川と矢落川が合流する東大洲地区は、大規模な浸水被害に見舞われた。500ヘクタール以上が浸水し一帯はまるで湖のように。
短時間で浸水が広がったため、100台以上の車が路上に置き去りにされ水没した。

思い通りにならない自然の怖さ
住民の救助活動はボートを使って行われた。
女性:
「使える物はほとんどないですけどね。もう水に全部つかってしまって。」
女性:
「(Q.エンジンは?)「かかりません。けん引して帰ります。」
農家男性:
「(Q.ここも水につかった?)「これ、このへん」
「(Q.生活に影響は?)「しますよ収入がないわけだから。」
浸水した家屋は1100棟以上にものぼり、大きな爪あとを残した。
空梅雨の翌年には、被害が出るほどの大雨の梅雨。
思い通りにならない自然の怖さを改めて知ることとなった。
