「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた長嶋茂雄さん。

 訃報に北海道でも驚きと悲しみの声が広がりました。

 ジャイアンツの選手や監督として活躍した長嶋茂雄さん。

 札幌市では悲報を知らせる号外が配られました。

 「サードからスローイングした後の、手のヒラヒラが印象的でした」

 「スーパープレイヤーで。僕らの憧れの人です」

 「時代を築いた人。選手としても監督になってからも。その人が亡くなるとは寂しいの一言」(いずれも街の人)

 プロ野球のセ・パ交流戦が行われる北広島市の『エスコンフィールド北海道』。

 集まった阪神ファンは。

 「親しみやすい人だったと思う」

 「愛された人」

 「巨人は嫌いだけど、長嶋は好きだと言われていた。野球を好きになるきっかけになった人なのでショック」(いずれも阪神ファン)

 2000年まで毎年、ジャイアンツの主催試合が行われていた札幌市円山球場です。

 「円山球場の資料室には長嶋さんの選手時代の写真と、監督になってからのサインが飾られています」(小出昌範ディレクター)

 「『監督すみません、サイン1枚お願いできますか』と言うと、『いいよ』と気軽に言っていただきました」(札幌市スポーツ協会 駒井広行さん)

 2004年にファイターズが本拠地を札幌市に移転するまでは、北海道内の野球ファンはジャイアンツ一色と言っても過言ではありませんでした。

 毎年7月はじめに行われていた試合は、朝から行列ができるほどの人気でした。

 その中でも長嶋さんは絶大な人気を誇りました。

 「こちらが長嶋さんがよく使われていた部屋です」(きょうど料理亭杉ノ目 杉目茂雄さん)

 札幌市中央区の繁華街・ススキノの料亭「杉ノ目」です。

 札幌市で試合が行われる際には、よく立ち寄ったといいます。

 来店した際には、必ずこの部屋を利用するほどのお気に入りでした。

 カニが大好物だったということです。

 「私が生まれた際に、当時大人気だった長嶋茂雄さんの茂雄と同じ漢字になったと聞いています。息子が『茂雄』で同じ漢字であると話をした時に、『ぜひ連れてきてよ』と言われ、この部屋にご挨拶にうかがいました。当時私は野球をやっていたので、グローブにサインをいただきました。そのグローブは家宝にしています」(きょうど料理亭杉ノ目 杉目茂雄さん)

 監督時代の長嶋さんのサイン入りグローブは、友人たちのせん望の的でした。

 「長嶋茂雄さんの存在が大きかったので、訃報にびっくりしました」(きょうど料理亭杉ノ目 杉目茂雄さん)

 札幌市白石区の「とも恵寿し」。

 店内には長嶋さんの写真やグッズが数多く飾られています。

 60年以上のファンという店主の田尻義晴さん。

 私設応援団として、毎年のように円山球場で長嶋さんの姿を見ていたといいます。

 「円山球場に行ったら外野に長嶋さんが来た。『今年は優勝をお願いします』と言ったらニコッと『わかった』と言われた。うれしかった」(とも恵寿し 田尻義晴さん)

 選手時代の長嶋さんの魅力はチャンスに強く、ファンの期待を裏切らなかったことだと言います。

 「大谷選手よりすごい。皆、背番号の『3』を欲しがった。銭湯のげた箱も『3』が欲しかった。野球の神様になって戻ってきて、日本の野球を応援してほしい」(とも恵寿し 田尻義晴さん)

北海道文化放送
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