プロ野球・巨人の終身名誉監督として、また選手・監督として輝かしい実績を残した長嶋茂雄さんが3日朝、89歳で亡くなりました。「ミスタープロ野球」と呼ばれ、国民的人気を博した長嶋さんは富山県内にも数々の思い出を残しています。
長嶋さんが使用したバットが眠る南砺バットミュージアム
南砺市の南砺バットミュージアムには、長嶋茂雄さんが実際に使用していたバット3本が大切に展示されています。

「ここにある3本が長嶋さんのバットです。こちらの2本が南砺市福光で作られたバット。真ん中のバットが長嶋さんと松井秀樹さんが平成25年に国民栄誉賞を受賞したときに送られた黄金バットの原型です」と館長の嶋信一さんは説明してくれました。

このミュージアムには長嶋さんをはじめ、王貞治さんやイチローさんなど往年の名選手が実際に使用していたバット550本やグッズが展示されています。
館長の嶋信一さんは10歳のころから長嶋さんのファンで、なんとファン歴65年。知り合いの老舗バット工場の廃業をきっかけに、工場からバットを買い取り、ミュージアムをオープンさせました。
「わが巨人軍は永久に不滅です」—感動の引退シーン

館内には長嶋さんの現役最後の試合を記録したテープやレコードも展示されています。あの有名な引退スピーチ「私は今日引退をいたしました。我巨人軍は永久に不滅です」を聞くと、嶋館長は思わず目頭を押さえます。

「ありがとうしかないね。我々の世代からしたら長嶋さんが永久不滅ですと言い返さないと」
嶋館長の言葉からは、長嶋さんへの深い敬愛の念が伝わってきます。
70年前、福野高校を訪れた若き日の長嶋さん
長嶋茂雄さんと富山県の縁は、南砺市の今の南砺福野高校にもありました。今から70年近く前、巨人軍への入団が決まっていた立教大学時代のことです。

福野高校同窓会の竹下宏子事務局長は古い写真を指さして「これ長嶋さんなんですよ」と教えてくれました。
1957年7月、福野高校のOB太田一三さんが立教大学で同級生だったつながりで、当時巨人軍への入団が決まっていた大学4年生の長嶋さんを2日間コーチとして招き、野球部が指導を受けたそうです。
「住宅の屋根にボールが飛んでいって瓦が割れたというエピソードがある」「ジャイアンツ入りが決まり、ファンがもういて高岡から女の子が『長嶋来るんだ』と大勢集まった」と竹下さんは当時の様子を語ります。
料亭の娘が見た長嶋さん
練習後は近くの料亭で関係者と会食をした長嶋さん。竹下さんはその料亭の娘で当時小学生でした。
「玄関で長嶋さんが入ってきたときにチラッと見た。大きい人やなと」「その時のサイン。"立教大学の長嶋茂雄"とギュッと拇印を押してもらった」と懐かしそうに話します。
その後、長嶋さんは巨人で1度目の監督を終えた後も、1985年に再び福野高校へ来校。生徒たち900人を前に情熱的に野球人生を語ったといいます。
「太田さんのご縁で来ていただいてありがたかった。実際にコーチをしてもらった野球部員たちはいつまでも語り草で『僕たちコーチしてもらった』と言っておられたと思う。学校の歴史上良かったなと」と竹下さんは振り返ります。
長嶋茂雄さんが残した伝説は、富山の地にも深く刻まれています。