プロ野球、読売巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督が3日朝早く、肺炎のため亡くなりました。
89歳でした。
青井実キャスター:
国民的スター、ミスタープロ野球長嶋茂雄さん。
本当に私たちの記憶に残る選手、監督そして言葉について3日は詳しく見ていきたいと思います。三宅さん、今朝、驚きましたね。
三宅正治キャスター:
驚きましたね。僕もスポーツキャスター時代に本当にお世話になって、何度もいろんなインタビューをさせていただいたんですが、ここ数年、何度かあまり容体がよろしくないらしいという話を聞いてたんですけど、そのたびにまた元気な姿を見せていらっしゃってたので、それが今回は全くそんな情報が入ってこない中でのこの訃報だったので、本当に驚いたしさみしいですね。
青井実キャスター:
いろんなエピソードがあります。今日ご紹介していきたいと思いますがまず、大学時代から本当にスターでした。
立教大学、当時の六大学野球の通算ホームラン記録を樹立しまして、そんな長嶋さんが鳴り物入りで巨人に入団したのは1957年、昭和32年でした。
プロ野球選手として初めて出場しました開幕戦、4打席連続三振ということが非常に話題になったんですが、長嶋さんというのは三振ですらかっこよかったというので、とても皆さんにも印象的だったんですが、ヘルメットを飛ばすんですよね。この豪快な三振。三振ですら魅せてしまう。それが長嶋さんの魅力でした。
三宅正治キャスター:
写真を見ても分かるとおり、こんなに人間の体ってねじれるかってぐらいねじれてて。それでも倒れない体幹の強さもあって、ちょっと大きめのヘルメットをかぶっていたという話もあるくらい。どんなふうにヘルメットを飛ばしたらかっこいいかということも考えていらっしゃった。
青井実キャスター:
この写真ですら格好よく見えますし、あと、守備ですよね。
三宅正治キャスター:
スローイングも昔子供たちみんな、まねしましたがこのあと、真っすぐ1塁に手を伸ばすんですよね。ピリピリピリってやるしぐさまでみんな、まねしていた。
青井実キャスター:
とにかくファンのことを一番に考えている選手だと伺っておりますが、そんな中、衝撃デビューを果たした長嶋さんですがその年、ルーキーながら本塁打王、打点王の2冠に輝いて新人王もとるわけです。
さらに翌年1959年、新たな伝説が生まれます。
史上初の天覧試合で劇的ホームランということでサヨナラホームランだったんですが、このホームランが長嶋さんが国民的スターになった瞬間ともいわれているわけです。
三宅正治キャスター:
陛下がご覧になっているということで球場には独特の緊張感があったという話も聞いたことはありますし、その中でここで打つかっていう、これがやっぱりスーパースターだよなという。
これによっていわゆる、プロ野球というものが国民的スポーツになって子供たちが憧れる職業としてプロ野球選手が上位に入ってきてという、そのくらい日本中を動かした打球と言っても過言ではない。そのくらいの大きな大きなホームランだったんですね。
青井実キャスター:
実際に見ていない方もこのシーンは、皆覚えているというシーンですよね。
三宅正治キャスター:
何度もVTRでいろんな好プレー珍プレー、そういうもので皆さん見た記憶が恐らくあるんじゃないかと思いますけどね。記録の王、記憶の長嶋といわれるゆえんはここだと思います。
青井実キャスター:
その後も数々の記録、記憶を作り上げていくわけですが、その王さんとともに巨人の黄金時代を築きまして、1973年には日本シリーズ9連覇、いわゆる“V9”を築いて、巨人軍の黄金時代が始まるんです。
現役時代の長嶋さんのすごさってどう映っていました?
三宅正治キャスター:
僕は広島出身で、もちろんカープの大ファンだったので巨人、そして長嶋さんは本当に憎き相手だったんですよ。強かったし。そのころカープはめちゃめちゃ弱かったので、そんな中で「ここでは打たないで長嶋さん」っていう時に打つんですよ、長嶋さんって。チャンスに本当に強かったので。
青井実キャスター:
その結果、選手として数々の記録を打ち立てています。MVP5回、首位打者6回そしてホームラン王2回、打点王5回ということで本当に伝説を残してきたわけですが、さらに印象的だったのが長嶋さんの引退セレモニーで口にした言葉なんです。名言は小山内さんも知ってますよね?
小山内鈴奈キャスター:
勉強不足だったんですけれども、長嶋さんの言葉だったんですね。
青井実キャスター:
1974年4万8000人の前で涙を見せた長嶋さん。セレモニーで口にした言葉は「きょう引退を致しますが、我が巨人軍は永久に不滅です」。三宅さんリアルタイムで見ていたと?
三宅正治キャスター:
そうですね、ほぼ半世紀前ですよ、51年前ですからね。僕が小学校6年生の時だったんですけども夕方ぐらいで、うちに帰って家族とみんなで食い入るように見ていた覚えがありますね。でもやっぱり通算打率が3割5厘ホームラン444本という、こういった記録を残して引退されるわけですが、数字以上のすごさ、オーラ存在感、スター性そんなものを感じますよね。
青井実キャスター:
1974年に、選手は幕を閉じたわけですけれどもその年、1974年、巨人軍の監督に就任されるわけです。ここからいろいろ歴史が始まるわけです。
1975年10月に、史上初の巨人軍、最下位ということで低迷するんですが翌年、リーグ優勝しますし、1980年には成績不振で辞任しますが、また92年に復帰。そして、94年には初めて監督で日本一にということで、長嶋監督を象徴するのは選手を鼓舞する言葉もユニークでしたけども、三宅さん「勝つ!勝つ!勝つ!」とありますけれども。
三宅正治キャスター:
1994年のこれに勝ったら優勝という、中日対巨人の最終戦があったんですが、その時に「いいか俺たちは勝つんだ!勝つ、勝つ、勝つ!」という言葉で選手を送り出していったんですが「勝つ!勝つ!勝つ!」という言葉はそのあと、巨人がつらい状況になっている時も選手たちに言ったことがありますし、あるいはWBCの宮崎合宿にも行って、選手たちをこの言葉で鼓舞したのも知られていますね。
青井実キャスター:
その後は最大11.5ゲーム差を覆し1996年には優勝。「メークドラマ」なんて言葉もありました。
リーグ優勝したあと2000年にリーグ優勝を果たすとその後、日本リーズで王監督のダイエーとON対決を制しまして2度目の日本一になったということです。
三宅正治キャスター:
僕は「メークドラマ」の時はトップに立っていたのがカープだったんです。11.5ゲーム差をひっくり返されたと覚えていますが、札幌円山球場で9者連続ヒットというような、それで一気に流れを変えた今でも思い出しますね。
青井実キャスター:
小さい時見ててもあの差を縮めるのは無理なんじゃないかと思ってましたよね。長嶋さんが、その時に「メークドラマ」「メークミラクル」という言葉も出てきて、それでも成し遂げてしまうということが当時、話題になりましたけども、2001年に監督を勇退しまして巨人の終身名誉監督にその後、就任されました。
その後も日本プロ野球界のために尽力されてきたんですが、2013年には教え子の松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞されました。授賞式、こんな新たな伝説が生まれているんです。覚えている方多いと思います。東京ドームで始球式が行われたんですがよく見ていてください。松井さんが投げます。
三宅正治キャスター:
これ絶対、長嶋さんは打ちにいっているんです。投げてた松井さんも多分、打たせたいんですよ。だけどちょっとボールが高くて打てなかったんで、思わず一瞬、松井さんは頭を抱えました。
青井実キャスター:
これ、皆さん、ご存じかと思いますが始球式というのは、わざと空振りをするのが始球式の恒例なわけです。ですけども長嶋茂雄さんというのは打ちに行くという姿。打ってくれるんじゃないかという。スタジアムの大歓声もまた打ってくれるんじゃないかという期待の大歓声のように思えましたけども、山口真由さんに聞いていきたいと思います。この時、長嶋茂雄さんは77歳ですがフルスイングされているということで。
SPキャスター・山口真由さん:
特にリハビリ後のスイングでしたから、多くの方を励ましたんじゃないかなと思いました。
青井実キャスター:
そして、やはり「メークドラマ」という言葉。先ほど紹介しました監督時代11.5ゲーム差を覆してリーグ優勝ということで…。
三宅正治キャスター:
それから「メークミラクル」という別な言葉が生まれますから、長嶋さんの言葉がそのまま日本中に伝わっていった。そのぐらい影響力があったという。
青井実キャスター:
あと、この言葉ですよね。「打撃も守備もいいんだよ」と。
三宅正治キャスター:
僕しか覚えてないですよ。僕が代表インタビューしたんですけど、上原浩治選手と二岡智宏選手という2人がジャイアンツに入ってきた時に代表インタビューをしたんです。その時に、「打撃もいいけど守備もいいんだよ」って。
周りが一瞬うん?ってなって上原投手のことを聞いたのに打撃と守備の話をされたので、これは長嶋さん二岡と間違えてるな…と思ったんだけど、僕はそこで「いや、監督二岡じゃなくて上原のことです」っていう勇気がなかった。
青井実キャスター:
この笑顔の表情ですよね。インタビューでお答えになる時、いつも野球、楽しそうだなってお答えになる。
三宅正治キャスター:
その時にインタビュー遅れてたんです。周りが何やってるんだってなってたけど監督はニコニコで。
青井実キャスター:
本当に生まれる前からテレビの中で活躍されてたわけですけど、山口さん、どうですか?
SPキャスター・山口真由さん:
高度経済成長期という時代を双肩に背負ったという不世出のスターは、この人で最後じゃないかなっていう気がやっぱりしてしまいますよね。
三宅正治キャスター:
日本中の心を動かせるのは、今の大谷翔平選手もそうかもしれませんけどそんなにいません。この方はそれをずっと長年やり続けていろんな年代の方々の心を動かし続けてきた。こういう方はそうそう現れない。素晴らしい方だったと思います。
青井実キャスター:
本当に野球を愛しそして愛された長嶋さん。それぞれ国民の皆さん思い出があると思いますが、本当に国民の皆さんが野球を好きになったきっかけになったと思います。本当にありがとうございました。