13日、89歳で息を引き取った南米ウルグアイのムヒカ元大統領。「世界一貧しい大統領」として親しまれ、14日に行われた国葬では多くの市民が涙を流し、最後の別れを告げた。
「Mr.サンデー」との10年に渡る交流のなかで、ムヒカ氏は今の日本に対して疑問を投げかける場面もあった。

今年から入退院を繰り返していたムヒカ氏

2025年1月1日、病に伏せったムヒカ氏を遠く、ウルグアイの地に見舞った日本人がいた。
 2024年の暮れ、ムヒカ氏が食道癌を患ったと聞き、居ても立ってもいられず駆け付けたのは、田部井一真。ムヒカ氏の取材をはじめた当時は「Mr.サンデー」のディレクターだった男だ。

田部井一真氏:
ペペ!こんにちは。

ムヒカ:
さあ、どうぞ、入って入って… 遠くから来てくれて…。

――体調は大丈夫ですか?
ムヒカ氏:

まあまあだね。

――かなり痩せましたね?
ムヒカ氏:

ここから食事をとっているからね…(と、お腹の手術跡を見せる)

田部井一真氏:
今年、(ムヒカ氏が)入院と退院を沢山して、どうしても心配で来てしまいました。

ムヒカ氏:
私はもう90歳になる。闘いの人生も、まもなく終わりだ。それを、私は、ありのままに受け入れたいと思う…でも、あなたたちがここに来てくれたことをとても嬉しく思うよ。

2015年、ムヒカ氏と番組の交流がスタート

2015年、現役の大統領だったムヒカ氏を待ちカメラを回し始めると…

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「世界一貧しい大統領」と呼ばれ世界から愛された男が、目の前にいた。

田部井ディレクター(当時):
ムヒカさん初めまして!私は日本人です。

ムヒカ氏:
あぁ…気付かなかったよ。

田部井ディレクター(当時):
日本のテレビ局から来ました!

ムヒカ氏:
よろしく、よろしくって言ってくれ。

その日から始まった、「Mr.サンデー」とムヒカ氏の10年に渡る濃密な関係。
かつて番組の求めに応じ、遠く日本まで足を運んでくれたホセ・ムヒカという男は、私たちに何を遺してくれたのか。

5月14日、その国葬は何リットルもの涙に暮れた。

市民からは、「ペペ・ムヒカは伝説です。私たちにとって最高の大統領であり、最高の人間です」「ぺぺは私たちの心に、永遠に残り続けるでしょう」との声が聞かれた。

「一番大切なのは人類の幸せである」国連でのスピーチ

ウルグアイ・第40代大統領、ホセ・ムヒカ。

貧困家庭に生まれ、20代の頃からゲリラ活動に身を投じた男は4度の投獄と、6発の銃弾を受けながら貧しい人々のために戦い続けた。

ノーネクタイを貫いたムヒカ氏
ノーネクタイを貫いたムヒカ氏

2010年、大統領に就任すると、どんな時でもノーネクタイを貫き、給料の9割を貧しい者に寄付したあげく、自らも質素な田舎暮らしを続けたことから「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれた。

そんな男の名を一躍、世界に知らしめたのは2012年、国連会議でのこのスピーチだった。

ムヒカ氏:
質問させて下さい。もしドイツ人が、ひと家族ごとに持っているほどの車をインド人もまた、持つとしたらこの地球は、どうなってしまうのでしょう?私たちが呼吸できる酸素は、残されるのでしょうか?我々は、発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。幸せになるためにやってきたのです。
人生は短く、あっという間です…しかし、その人生こそが、何より価値あるものなのです。
バイクやマイカーのローンを次から次へと支払っているうちに、私のようなリュウマチ持ちの老人になって人生が終わってしまう。
そして自分に問いかけるのです。これが、私の一生だったのかと…。私が言っているのは基本的なことです。「発展」は、幸せの邪魔をしてはならない。
「発展」は、「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達を持つこと」そして「必要最低限のもので満足する」ためにあるべきものです。なぜなら、それらこそが、一番大事な宝物なのです。
環境のために闘うのなら、一番大切なのは人類の幸せであることを、忘れてはなりません。ありがとう。

「本当に日本人が幸せなのか疑問」問う場面も

一体、どこの政治家がこれほど真っ直ぐな問いを世界に突きつけたことがあっただろう。
その言葉に魅了された私たちは再びウルグアイに飛び、彼の自宅でインタビューを試みたこともある。

――“世界一貧しい大統領”と世界中から言われてきましたが、率直にどう思われていましたか?
ムヒカ氏:

皆が豊かさというものを勘違いしていると思うんだ。大統領は“王家のような生活”“皇帝のような生活”をしないといけないと思い込んでいるようでね。私はそうは思わないんだ。大統領だって、大半の人と同じ生活をしなければいけない。国民の生活レベルが上がれば自分の生活レベルも上げる。少数派ではいけないんだ。

そして…

――今の日本についてどうお考えでしょうか?
ムヒカ氏:

すごい進歩を遂げた国だと思う。だけど本当に日本人が幸せなのかは疑問なんだ。西洋の悪いところを真似して、日本の性質を忘れてしまったんだと思う。日本文化の根っ子をね…。
幸せとは物を買うことと勘違いしているからだよ。根本的な問題は君が何かを買うとき、お金で買っているわけではないということさ。そのお金を得るために使用した時間で買っているんだよ。

 “大切なものは目に見えない”。私たちは、ムヒカ氏の言葉にハッとした。

「すごくおいしい!」大阪で「串カツ」店訪問

 そして、2016年4月。到着早々、ムヒカ氏が語った言葉は…

ムヒカ氏:
かつて日本は鎖国を解き、西洋を追い抜く決意をした。しかし、現在の日本は、あまりにも西欧化したように見える。自国の歴史や自分たちのルーツを問わなくなってはいないか?

そんな、“厳しい問い”から始まった日本の旅。
築地や浅草を歩くなど、ムヒカ氏は徹底して庶民の暮らしを見ることにこだわった。

――どうして築地に来られようと思ったんですか?
ムヒカ氏:

働いている人たちを見るためです。働いて、つましい暮らしをする人々…国を支えるために必要不可欠な人々です。

ホームグラウンド、大阪では…

宮根誠司キャスター:
どうですかこの街の雰囲気は?

ムヒカ氏:
とても面白い。色鮮やかだね。

宮根誠司キャスター:
面白い? 街が色鮮やか?すごいな~どうも。

すぐに出来てしまう人だかりにも、気安く応えた。
 たこ焼きや、串カツの店にも気さくに足を止めると…

宮根誠司キャスター:
(ソース)二度づけ禁止なんですよ。1回しか、つけちゃダメなんですよ、ルールで。

ムヒカ氏:
(串カツを食べて)すごくおいしいよ!(大将に握手を求め、グーポーズ)

宮根と訪れた大阪・新世界の串揚げ店。そんな時でも、「日本人ほどの働き者を見つけるのは難しいよ…」と、日本人の生き方に興味津々だった。

宮根誠司キャスター:
でも、大将も働くのも好きやし、お金も好きでしょ?これ僕らもそうなんですけど、仕事がなくなったら、何していいのかわからないっていう恐怖感ないですか?

串揚げ店の大将:
そうですね。やっぱり、従業員のことが一番心配やからね。365日働いています。

この大将の言葉がよほど響いたのか、ムヒカ氏はウルグアイに帰ってからも…

ムヒカ氏:
店の大将は私に、働いている従業員に対して責任を感じるから「彼らにも生活があるから、一生懸命働いている」と言っていた。彼は生活の糧を得ている人々に対して責任を負っていると感じていた。欧米には存在しない考え方なんだ。
(その責任感は)賞賛すべきだし、とても高潔だが、幸せに生きているわけではないと思う。日本人は働き過ぎなんだ。だから生きていくためのエネルギーと、自由な時間が、ほんのわずかしか残らない…。

日本の大学で特別講演も

そんなムヒカ氏が、日本で一番楽しみにしていたことがある。
それを叶えたのが日本の大学で、若者たちと語り合う特別講演だった。

ムヒカ氏:
若いみなさん、皆さんには2つの選択肢があります。1つは、ただ生まれたから、生きるということ。もうひとつは、私たち自身の人生を操縦することです。

 9年前のあの日、ムヒカ氏の講演を聴いていた学生がいる。

菊地慶太さん:
ちょうどこの辺で、その時は、実は多分、今ほど実感してなかったんですけど、すごい方にこうやって、直接お話ができる機会だと。もうこれは逃してはならないなと思い、ちょっと緊張しましたが、勇気を振り絞って、質問しました。

菊地慶太さん(29)。当時、スペイン語を専攻した彼は学んだ言葉で、こんな質問をしている。

菊地慶太さん(当時):
あなたのお考えでは本当に、全世界というのが幸せになるのは可能だと思いますか?私の考えではそれは、とても難しい。ほぼ不可能のように思えるんですね。ご意見、いかがでしょうか。

そんな質問に、ゆったりと答えたムヒカ氏。

ムヒカ氏:
私たちは人生のなんらかの時点で鏡の前に立ち止まります。そして、こう、自身に問うのです。私は、本当に自分の人生を生きたかと…?私たちは、自分自身の人生を舵取りすることが出来ます。
もし、音楽が好きならば音楽に、絵が好きなのであれば絵に、何かあなた自身を幸せにするものを探してください。そして、また、ほかの人を幸せにするということを考えてください。
それは世界を変えるということではなく自分自身を変えるということなのです。

世界を変えるためには、まず自分を変えなくてはと話したムヒカ氏。

菊地慶太さん:
あの時の言葉っていうのは、今の方が身に染みているっていうのは、おそらく大人になって、パワーがこうついてくるので、まさにそのパワーとか、お金だけじゃないよっていうことを、自分にこう言い聞かせてあげるみたいな…。
周りのことはもちろん大事だけど、自分でいいんだよと。惑わされなくていいんだよと言うことだと思っています。

「日本は人生最後の30年間に大きな共感抱かせてくれた」

ムヒカ氏が“撒いた種”は、世界でも。

パラグアイの政治家で、医療保険制度の改革を進めてきたヒメネス氏は、「世界中の政治家や活動家が、彼の言葉に感銘を受けています。いつも“本音”で話していました。政治家で彼の考えによって、自分の政治理念をもう一度考え直すきっかけになりました。ムヒカ氏はレガシーを残してくれたのです」と話す。

そんなムヒカ氏は「残された人生の時間」を、私たちの取材のために割いてくれた。
彼の目は、明らかに 一人のディレクターの後ろに多くの日本人の姿を見ていたように思う。

ムヒカ氏:
あなたたちが、ここに来てくれたことを嬉しく思う。時代の流れと共に、私は日本の文明とその長い歴史について多くを学んだ。日本は遠く離れているにもかかわらず、私の人生の最後の30年間に大きな共感を抱かせてくれた。

80歳を超えてなお日本で学び、精力的に語ってくれたムヒカ氏。
その最後の言葉は、病身にありながらまるで、世界への遺言のように力強かった。

ムヒカ氏:
私は人間が好きだから、人間に関しては楽観的だ。しかし、人間の振る舞いには悲観的だ。なぜなら、科学が発達し、豊かになり人間は多くの知識や道具を得たのに未だに人間同士で殺戮が行なわれているからだ。環境破壊が行なわれているからだ!
私たちは、何をしなければいけないか分かっているのに何もしていない。私たちは、京都の国際会議で科学によって何が起こったかを学んだにもかかわらず政治は科学から学ばなかった。
そして、ますます悪化している。それは悲劇だ。目を開けて死んでいる。全て無駄だった…。

人間はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか?最後まで世界に問い続けたムヒカ氏。

取材の最後にムヒカ 元大統領は、「外に出ようか?外で写真を撮ろう」と、弱った足を引き摺り庭での記念写真に誘ってくれた。
その、皺だらけの顔が、こう問いかけている。あなたはいま、幸せかと。
(「Mr.サンデー」5月18日放送より)