高級時計やブライダルジュエリーを販売する福井市の「ジュエリーパリ」が創業50年目に、金沢の中心市街地に高級時計ブランドの専門店を出店しました。なぜ県外出店を決断したのか、50年の歴史を振り返りながらその理由に迫ります。
◆高級店の集積地への出店
石川県金沢市の中心市街地、香林坊・片町エリアに18日、高級時計ブランド「タグ・ホイヤー」の専門店、いわゆるブティックが北陸で初めてオープンしました。手掛けたのは、宝飾や時計の販売を手掛ける福井市のジュエリーパリです。「タグ・ホイヤー」は1860年に設立されたスイスの老舗メーカーです。
香林坊エリアでは、この3年で高級時計ブティックが次々にオープンし、集積が進んでいます。ジェリーパリの山越大輔社長は「北陸3県の中でも、香林坊には時計のブティックやラグジュアリーブランドが集結している、北陸の中心的な位置に出店することで、より一層の盛り上がりに一役買えたら」と語ります。
◆1店舗で多数のブランドを取り扱い
世界が注目する金沢の一等地に、なぜ福井の会社が高級時計ブティックを出せたのか。福井市高柳にある本店で、その理由を探りました。
600坪あるフロアの店内を囲うように、世界の高級時計ブランドのコーナーがずらりと並びます。現在、時計は15ブランド、ブライダル・ジュエリーは20のブランドを取り扱っています。荒川博晶副社長は「一つの店の中で、ブランドの垣根を越えて時計を見比べてもらえるお店は全国でも非常に少ない」と話すようにテーブルや椅子を置き、しっかりと商談できる作りで「客もそのブランドの世界観をしっかりと堪能してもらえる」ようになっています。
◆福井駅前で移転しながら規模拡大
ジュエリーパリは1976年(昭和51)年に創業。カルティエ、タグホイヤー、ロレックスといった名だたる海外ブランド時計の正規取り扱いを獲得し、福井駅前エリアで移転をしながら店の規模を徐々に拡大。2000年からは駅前電車通りに店を構えました。
その後も、扱う商品をさらに充実させ、福井駅前の高級時計販売店としてのステイタスを確立していきました。
◆海外ブランドの販売戦略が変化
しかし、2010年頃からブランド側の販売戦略にある変化が生まれたといいます。「販売窓口が多ければ多いほど売り上げが増えるという考えだったが、2010年頃から一つのエリアでしっかりとした店舗を一つ作ろうという考え方になってきた」(荒川博晶副社長)
海外ブランドはそれまで、複数の店に商品を置くことで客と接触する機会を増やす“分散型”の販売戦略でしたが、15年ほど前からはブランドの世界観を浸透させるため、エリアに1つだけ販売コーナーを置く“集中型”の戦略にシフトしていきました。
もう一つの転機は、創業以来ずっとこだわってきた「福井駅前」からの移転です。2020年に店を現在の大和田エリアに移しました。荒川副社長は「福井駅前エリアで45年間いた地を離れるのは不安でもあったが、冒険というか考えて考えて実行した」と話します。「福井県は車社会なので、福井駅前では気軽に車を止めて来店してもらうことができなかったが、郊外では駐車場問題を解決できたので、移転後は比較的若い世代に来店してもらえるようになった」
ブランドごとに広いコーナーを構えて販売実績を積み上げることで、海外ブランドとの向き合いも、より強固なものになっていきました。
◆海外ブランドから立て続けにオファー
そんな中、スイスの時計ブランド「チューダー」から金沢への出店依頼が。これが、県外出店に向けての新たな挑戦の始まりでした。時を同じくして今度は、老舗ブランドの「タグ・ホイヤー」からもオファーが入り、創業50年目の2025年に金沢店をオープンしました。「ブランド側は過去の実績や経営状況をしっかりと見てくるので、そういうハードルを越えたというのは店として非常に喜ばしい」と話します。
◆ノルマなし、チームワークが強み
福井駅前当時10人だったスタッフは、現在30人に増えました。ただ、スタッフたちに個人成績やノルマを課さないのが駅前当時から続くジュエリーパリのルールです。店全体で売り上げ、目標を達成する。強みはチームワークだといいます。
「基本的には前社長から引き継がれて現社長でも同じ考え方。高級ブランドを扱うには、客だけでなくブランド側や取引先などすべてを大切にしないと継続していくことはできないという考え方。それは以前から変わっていなくて今後も引き継がれていく内容だと思う」
「タグ・ホイヤー」の日本のトップに話を聞くと「ジュエリーパリは、これまでの販売実績や貢献度だけでなく、スタッフの明るさや元気さも評価していて、この会社に北陸初のブティックを任せた」といいます。タグ・ホイヤーが日本国内でトップ(グループ)のパートナーとしている店はジュエリーパリを含む8店舗のみ。名だたる海外ブランドからも熱い信頼を得ているのには、実はスタッフたちのホスピタリティも大きく関わっていました。
福井駅前でたった5坪で始まった店が、今や県外へと拡大しています。