プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績、伝説を德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!

巨人・西武で19年にわたり中継ぎ・抑えとして活躍した鹿取義隆氏。サイドスローから投げ込むキレの良いストレートと多彩な変化球を武器に755試合に登板し91勝131セーブ。最優秀救援投手1回。毎年フル回転でチームを支え“鹿取大明神”と呼ばれたタフガイに徳光和夫が切り込んだ。

【中編からの続き】

現役時代に1度だけ…先発完投勝利

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1980年オフ、成績低迷の責任を取って長嶋監督が退任。1981年からは藤田元司監督がジャイアンツの指揮を執った。

徳光:
監督が代わったことによって、投手としての見られ方は変わりましたか。

鹿取:
元投手ってこともあって、投手に対しては厳しかったです。基本的には先発完投ということを、いつもおっしゃってました。

徳光:
「投手たる者はやっぱり先発完投だ」って。鹿取さんは、その先発っていう道は自分にはないと思ってたんですか。

鹿取:
これだけのメンバーいれば、なかなか…。よっぽどの谷間しかないわけですよ。誰かがケガしたとかがないと、まず回ってこないですよね。

徳光:
鹿取さん自身、先発完投っていうのはないんですか。

鹿取:
先発完投は1回だけあります。大洋(現・DeNA)戦です。

1983年8月21日の大洋戦が鹿取氏の唯一の先発完投勝利。9対2で巨人が勝った試合だ。

鹿取:
そのときに僕、ヒットを1本打ってるんですよね。ツーベースか何かを打って、それで3点入って楽になった展開だったと思います。165球くらい投げたと思いますよ。

徳光:
先発で最初に踏むマウンドと、リリーバーとして誰かのあとに踏むマウンドっていうのは違いがありますか。

鹿取:
リリーバーで行くとき、前に投げたピッチャーと踏み幅が合えばいいですけど、大概合わないんです。僕は身長が低いので、ほかのピッチャーが足をつくより手前に足がつくわけです。手前だと、ちょっと掘れてる山のところになるんです。もし、そこに足をついて投げて変なボールが行ったら、打たれちゃうわけですから、そこを避けなきゃいけない。だから、プレート板の位置を変えて、その山に足がかからないように投げるんですよ。

徳光:
つまり、軸足である右足の位置を変えるわけですか。

鹿取:
はい。少しずらします。変なところ、真ん中に行って打たれるよりも、変えてるほうがいい。

徳光:
ご自分が先発完投したときはどうだったんですか。

鹿取:
これは気持ち良かったですね。

徳光:
やっぱり気持ちいいもんでしょうね。

鹿取:
逆に「どこから投げようかな、どこ使っていいのかな」みたいな。

徳光:
(笑)。

徳光:
誰のあとに投げたら歩幅が合うとかあったんですか。

鹿取:
西武で言ったら、郭泰源とかのあとは誰が行っても合いますね。前が掘れてないんです。

徳光:
そうなんですか。

鹿取:
相手ピッチャーもいますけど、泰源だけだったら大丈夫です。それくらい、おとなしく足をつく。パンッとつかないから掘らないです。「すごいな、泰源」って思いましたね。

徳光:
それであんなにすごいボールを投げてたんですか。

鹿取:
あいつは化け物ですよ。やっぱり脚力です。すっごいです。バネがすごかったんです。

「鹿取大明神」フル回転

徳光:
1984年からは王監督を迎えるわけですが、そのときには、左の角さん、右の鹿取さんという抑えの形ができて、最後に2人で試合を締めていく。

鹿取:
角のほうが多かったと思いますけどね、

徳光:
85年は鹿取さんが60試合、角さんが42試合で、鹿取さんのほうが18試合多いんです。この辺りから60試合投げる人が出てるんだな。

鹿取:
(86年に)サンチェが来てからは2人とも60試合くらいですよね、サンチェが抑えに回って、その前を僕と角でなんとかやってた。それでなんとなく、勝ちパターンが生まれてきたのかなって感じがしますよね。

徳光:
困ったときの鹿取さんでしたからね。

鹿取:
このころは、投げてていい感じでしたね。

徳光:
「カトられる」っていう言葉もありましたね。

鹿取:
あぁ、ありましたね。

徳光:
サラリーマンとか、テレビ局でもADさんとかが酷使される状況で、「カトられる」って使ってましたよ。

鹿取:
酷使じゃないです、僕は、登板チャンスをいただいてるんです。

徳光:
登板チャンス(笑)。

鹿取:
最初は出れないときがあったんですよ。ルーキーとか若い頃には、「俺が出たい」と思っても出れないんです。出れるっていうのはチャンスをもらえるわけですよ。そのチャンスをもらうためには、隠れて努力もしなきゃいけない、トレーニングもしなきゃいけない。それを考えると出るときはチャンスなんです。

徳光:
そうか。そういう受け止め方があるわけですね。プロ野球選手は試合に出てなんぼですから。

鹿取:
特にブルペンは出てなんぼです。どんなときでも行けるようにしなきゃいけないってことですね。

打たれまくった“ミスター赤ヘル”

徳光:
当時、セ・リーグで印象的だったバッターと言うと誰ですか。

鹿取:
僕はやっぱり山本浩二さんじゃないですか。打たれましたもん。インサイド厳しいボールを大先輩に投げ切れない。そういうボールを投げると体を大きく開いて構えちゃう。いやーな顔をされるんですよね。「はぁ、すみません」って。なんか申し訳ないなと思って。
山本浩二さんは、初球投げたカーブを思いきり空振りするんですよ。タイミングが合ってないと思って、また同じカーブを投げたら、カーンッてライトにホームラン。「あぁ、やられた」。

徳光:
わざと空振り。ブラフの空振りですね。

鹿取:
そう、わざと空振りして、カーンッてライトに打つんですよ。「あぁ、やられたけど、すごいバッターだな」って。

徳光:
麻雀みたいなことをやりますね。

鹿取:
当時は、「これが年俸の差だ」と思ってました(笑)。

西武に移籍…堤オーナー「やっと会えたな」

1989年オフ、藤田監督の第2次政権下で、鹿取氏は西岡良洋氏とのトレードで西武に移籍する。

徳光:
西武への移籍はどういう経緯だったんですか。

鹿取:
その年はあんまり良くなかったんですね。
藤田監督の最後のほうだったんですけど、その年のシーズン中に角がトレード、その前年に西本がトレードじゃなかったかな。ちょうど世代交代の時期だったんだと思いますね。

徳光:
実際に自分が当事者になったときは、どういう感じだったんですか。

鹿取:
「来たか」って感じです。「いや、来たか」。
この年、チームは優勝してるんですよね。秋の多摩川練習のとき、新聞に「鹿取、トレード要員」って出てて、「藤田さんがコメント」って書いてある。だから、「これ、本当ですか」って監督に聞きに行ったんです。そしたら、「もうひと花咲かせたかったら出てもいいぞ」って言われたんです。だから、「角もトレードになってるんで、それが来たのかな」って感じがしましたね。

徳光:
それで、西武へ行ったら今度は元ジャイアンツの森(祇晶)さんが監督。

鹿取:
行った瞬間に、黒江(透修)さんから、「去年、西本は20勝したからな」って。「はい、頑張ります」(笑)。

徳光:
西本さんは中日にトレードされて1年目で20勝(笑)。

鹿取:
いきなりプレッシャーをかけられました。

徳光:
プリンスホテルに入れなかった鹿取さんが西武に。縁ですね(笑)。

鹿取:
そのとき、堤オーナーから、「やっと会えたな」って言われました。

徳光:
へぇ、そうですか。

鹿取:
覚えてたんですね。びっくりしました。ドキッとしました。

最強ライオンズ 日本シリーズで巨人を4タテ

1990年の西武はまさに黄金期で、この年から94年までパ・リーグ5連覇を達成する。野手陣は秋山幸二氏、清原和博氏、デストラーデ氏のクリーンナップを筆頭にそうそうたる面々が名をつらね、投手陣も渡辺久信氏、渡辺智男氏、石井丈裕氏、郭泰源氏、工藤公康氏など、非常に充実していた。

徳光:
いいチームに来たと思いましたか。

鹿取:
はい。
「はい」って言っちゃった(笑)。

徳光:
(笑)。

鹿取:
オープン戦とかやってるうちにじわじわと感じましたね。
ランナーセカンドで、ライト前ヒットですよ。セカンドの辻は飛び込んでも捕れず、ライトの平野さんが捕る。当然、ランナーはホームに帰ってくると思いますよね。でも、サードコーチは止めてるんですよ。回ればアウトなんです。

徳光:
なるほど。

鹿取:
「アウトの取り方が変わる」と思いましたね。それくらい、外野の守備力はすごかったです。

徳光:
当時は潮崎(哲也)さんがルーキーで入ってきて、鹿取さんと中継ぎ、抑えの両輪になったわけですよね。そういう意味では潮崎さんはライバルでしたか。

鹿取:
いや、ライバルじゃないですよ。助け合っていかなきゃいけないって思ってました。
あいつのシンカーは100何km/hで、すごく遅くて打てないんですよ。それは、誰もマネできない握りなんですね。そのゆるいボール、腕を強く振って投げるゆるいボール、106km/hとか108km/hなんですよ。それが一番いいときで速くなって110km/hになっちゃうと当てられるんですよ。

徳光:
へぇ。

鹿取:
ストレートは145km/hくらい出ますから、緩急がすごいですよね。それはなかなか打てないですよ。

鹿取氏は西武移籍1年目の1990年、シーズン初登板でセーブをあげると、そこから10試合連続セーブという当時の日本記録を樹立。このシーズンは37試合に登板し3勝1敗24セーブで最優秀救援投手に輝いた。

鹿取:
このセーブっていうのは、どちらかと言うと森さんが僕に取らせたセーブです。
そのまま潮崎が投げてればセーブがつく場面が何回もあったんですよ。なのに、僕に変えられて、僕もプレッシャーでしたよ。それがこういう結果になったんです。黙っとけば分からないと思うんですけどね(笑)。でも、ほんと森さんがいろんな手を使って、僕に結果を残してくれたんじゃないかと思います。

徳光:
強力先発陣に加え、鹿取、潮崎っていう盤石な抑えができたことによってリーグ優勝。日本シリーズでも巨人と対戦して4タテですよね。

鹿取:
そうです。

徳光:
これは古巣に失礼だったんじゃないですか(笑)。

鹿取:
僕は一応、元巨人なんで、野手のミーティングにも出ました。「このピッチャーはこんな感じです」って説明して。当然、ピッチャーのほうにも、「こんなバッターだよ」って言ってます。
3連勝したときかな、「巨人はこんなチームじゃないですよ」って言ってたんですけど、そのまま4連勝で終わっちゃったんで、「どうしちゃったんだろう。嘘だろ」って、それはありましたね。

初回に緊急リリーフ登板し“ほぼ完封”勝利

リリーフとして活躍した鹿取氏だが、初回からリリーフ登板してそのまま9回まで0点に抑えた“ほぼ完封”と言える試合がある。1994年6月8日の日本ハム戦では、初回ノーアウト1失点だった先発・村田勝喜氏のあとを継いで急きょ登板し、9回まで無失点で投げ切って勝利投手になっている。

鹿取:
村田が初回にギックリ腰になったんです。僕らはリリーバーですから、僕も潮崎もマッサージしてたわけですよ。そしたらコーチが、「行くぞ」って言うから、「シオ、頑張ってこいよ」って言ったら、「いやいや、お前だよ」って言われたんです。

徳光:
うん、うん。

鹿取:
「えっ、僕ですか。いやいや、まだ途中です」。「いい、いい。大丈夫、大丈夫。取りあえず行ってこいよ、行ってくれよ」。たまたまその回を抑えたら、「もう1回行けよ」。「分かりました。じゃあ3回までですね」。「3回でいいよ」。それで抑えたら今度は「5回まで行くか」。
ヒットを打たれてなかったんで、点を取られてないわけですよ。5回が終わったら、「7回まで行くか」。「いやいやいや、もう無理です。もういっぱいいっぱいですよ」。「いや、だってヒットを打たれてないから」。「じゃあ、行きます」って行って、7回が終わって帰ってきたら、「今日、完投しろ」。

徳光:
ほう。

鹿取:
「明日、あがりにするから」って言われて。「あがり」っていうのは、先発ピッチャーは投げた次の日はベンチに入らないんですよ。それを聞いて「分かりました。行きます」(笑)。
それで、抑えて勝っちゃったわけですよ。「良かったですね」なんて言って、次の日が来たら、ベンチ入りになってました。「取りあえずベンチに入ってくれ」って。

徳光:
(笑)

鹿取:
「何にもできないですよ。昨日、あがりって言ったじゃないですか」。「いや、取りあえずベンチに入っとけよ」。
でも、ほんとは僕は嬉しかったんです。今までやったことがないんで、何をしていいか分かんないですもん。それで、取りあえずベンチにいました。ボーッとしてましたけどね。

鹿取氏は1995年7月16日の日本ハム戦でも、初回1死満塁から登板し、9回まで無失点に抑える“ほぼ完封”勝利を挙げている。

シーズン210安打・イチロー氏を封じ込めた

徳光:
パ・リーグの打者で印象に残ってる人っていますか。

鹿取:
みんな、とにかくフルスイングですね。思いっきり振ってきますよね。特にブライアントはすごかったですよ。

徳光:
対戦成績は8打数5安打1本塁打、打率は6割2分5厘(笑)。

鹿取:
投げた瞬間にカーンッてピッチャー返し。ボールが股間を抜けて行ったんですよ。風がパッと走って、「ウワーッ」ってなりました。

徳光:
(笑)。

鹿取:
もう、あれは忘れられないですね。

徳光:
鹿取さんはイチローさんにも投げてるんですよね。

鹿取:
投げてますよ。

イチロー氏が日本プロ野球史上初となるシーズン200安打を達成し、最終的に210安打を放った1994年、鹿取氏はイチロー氏を6打数無安打と封じ込めた。

鹿取:
200本目が僕らの前の試合のロッテ戦だったんですよ。みんなが「200安打って名前が残るよね」とか言ってたときだったんです。トータルでは打たれてますけど、この年だけは打たれてないんですよね。

通算では27打数7安打、打率2割5分9厘、1本塁打、3三振だ。

鹿取:
このホームランは優勝が決まったあと。彼は初球をあんまり打たないんですよ。初球で真ん中に投げたらホームランを打たれました。

徳光:
その1本ですか。

鹿取:
その1本ですね。彼は覚えてました。「打ちましたね、僕」って言ってましたから。

徳光:
(笑)。それはWBCのときですか。

鹿取:
そうですね。

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/4/8より)

「プロ野球レジェン堂」
BSフジ 毎週火曜日午後10時から放送
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