4月22日、天皇皇后両陛下主催の「春の園遊会」が赤坂御苑で開催された。毎回、招待客と両陛下の懇談内容に注目が集まるが、43年前の「春の園遊会」では、昭和天皇と柔道・山下泰裕さんとのやり取りで会場が優しい笑いに包まれた。昭和57(1982)年5月22日放送の「皇室ご一家」(第161回 天皇陛下と春の園遊会)を懐かしい画像と共に振り返る。
なお、本記事は当時のナレーションをそのまま記載。昭和天皇を「天皇陛下」、現在の陛下は「浩宮さま」と記載する。
昭和57年5月「春の園遊会」
初夏の日差しに緑が一段と映える5月18日。
天皇陛下主催の春の園遊会が、赤坂御苑で開かれました。

優雅な雅楽が苑内に流れる中、1716名の招待者が参加。会場の赤坂御苑には、ショウブの花が彩りを添えていました。

午後2時過ぎ、天皇陛下は浩宮さま、常陸宮ご夫妻、そして皇族方と苑内にお出ましになりました。

≪国立婦人教育会館長・縫田曄子さんと陛下のやりとり≫
陛下「どうです、婦人の仕事は?」
縫田「大変、全国からたくさんの主婦や働く方々がお見えになって、勉強しておられます」
陛下「どうか婦人のためにいろいろ努力してもらえることを希望します。今日はよく来てくれ
て…」
≪北海道浦河町長・濱口 光輝さんと陛下のやりとり≫
案内役「濱口北海道浦河町長です」
陛下「どうです、地震の状況は?」
濱口「ご心配をかけて恐縮でございますけれども、今までに無い大きな地震だったのですけれど
も、幸い被害が比較的少なくて、被災者も意欲を燃やして、復興に一生懸命でございま
す。ご心配いただいておりますけれども…」
陛下「どうかひとつ、復興のために努力してもらって、町民の幸福、幸せのために…」

《柔道・山下泰裕選手と陛下のやりとり》
案内役「山下選手です。柔道の世界選手権に優勝なさいました」
陛下「ずいぶん柔道で一生懸命やってるようだが、どう、ずいぶん骨が折れますか?」
山下「2年前に骨折したんですが、今は体調も完全に良く、一生懸命がんばっております」
(周囲に笑い)
陛下「今日はよく来てくれて…」
山下「どうも、ありがとうございました」
≪俳優・黒柳徹子さんと陛下のやりとり≫
案内役「俳優の黒柳さんです」
黒柳「どうも黒柳でございます。お招きいただきまして…」
陛下「この間、本を書いたんだね」
黒柳「『窓際のトットちゃん』という本を書きまして、今、470万部でございまして、今度、
英語でも外国でも出ることになりまして、たくさんの方が読んでくださいまして、とても
うれしいと思っております」
陛下「よく売れて!」
(周囲に笑い)
黒柳「福祉のためにそれを使うことが出来ましたものですから、耳の聞こえない俳優さんたちがプロになるための劇団を作る資金に致しますので、とてもうれしく思っています」
陛下「今日はよく来てくれて…」
黒柳「陛下にお目にかかれることをとても楽しみにして参りました」

≪京都大学名誉教授・福井謙一さんと陛下のやりとり≫
案内役「ノーベル化学賞の福井教授でございます」
陛下「どうですその後、スウェーデンに行ったでしょう?どうでした印象は?」
福井「12月10日を挟みまして、前後一週間ほどいろいろ行事がございまして、その間、スウェーデンの国民の方に大変温かい御歓待をいただきまして、感銘を深く致しました。その後帰りまして、会合その他、かなり忙しくしています」
陛下「研究は続けているの?」
福井「はい、続けさせていただいています」
陛下「今日は良く来てくれて…」

≪保護司・今川アヤヨさんと陛下のやりとり≫
案内役「保護司の今川さんです。長年ご活躍で…」
陛下「本当にそういう陰の仕事に骨折っていて…ご苦労に思います」
今川「ありがとうございます」

≪歌手・藤山一郎さんと陛下のやりとり≫
案内役「藤山一郎さんです」
藤山「お招きいただきありがとうございます」
陛下「歌の方、非常に…歌のために骨折ってそうだなー」
藤山「ありがとうございます。日本語の美しい響きを大切にと心がけまして、少年時代から60年間、歌い続けています。今後もがんばるつもりです。お招き賜りまして本日は感激でございます」
陛下「どうかひとつ、歌によって国民の幸福を増してもらうことを希望します」
藤山「陛下もどうぞ、お体をおいといください」

この後天皇陛下は、およそ1時間にわたって出席者に親しく声をかけられ、苑内を回られました。
そして陛下に声をかけられた感想を招待客はこう振り返りました。
≪柔道・山下泰裕さん 懇談後のインタビュー≫
「漠然的に光栄だと思ったんですけども…皇居の門を入りましてですね、話しを聞きましたら、現役のスポーツ選手では私一人ということで非常に光栄に思いましたし、私が来るような場所ではないんじゃないかなとそういう気持ちです」
(Q.陛下の印象は)「思ったよりも話し方がやさしくユーモアがあられて、私も割と落ち着いて話ができました」

≪俳優・黒柳徹子さん 懇談後のインタビュー≫
「一番感じたのは、陛下がおいでになるときに『君が代』が鳴ったとき、平和で良いと思った。
子供のころ、戦争だったので、これがトットちゃんの本の話を話題にしてくれて、こういうところに呼んでくれて、小学校一年で退学になったような、昔だったら落ちこぼれの子供が呼んでいただけて、そして本当に、空も晴れて、鳥も鳴いて、平和だと……。これがいつまでも続けば良いと思った。芝の坂のところをお歩きになるときにトントンと早くお歩きになったので、お体が大変お元気でいらっしゃる、皆さんのお話しをお聞きになりながら、笑っていらっしゃるお顔が、じつに自然で、心から出ていらっしゃる感じがしてユーモアが大変おありで、質問なさるときも楽しい感じで、興味深く物事を見ていらっしゃる感じが分かって、いつもテレビで拝見しているのとまた違う陛下を拝見出来て、とても良かったと思っています」

≪俳優・黒柳徹子さん 懇談後のインタビュー≫
「浩宮さまは、真っ先に『あなたはパンダの本をお書きになりましたね』とおっしゃったので、 私は40年パンダの研究をしておりますから、パンダは何でも知っていますと申しました。そうしたら、『僕はまだ見たことがない』と言われたので、上野に女の子のパンダのファンファンがいるので、機会があったらご覧くださったら喜ぶと思います」

皇太子さまと美智子さまは、宮﨑で行なわれる会議にご出席のため、今回はお出ましになりませんでした。
天皇皇后両陛下 三浦半島・観音崎へ
潮さいが聞こえる、三浦半島・観音崎。

この5月6日から8日まで、葉山御用邸にご滞在中の天皇陛下と皇后さまは、7日、お二人で観音崎にお出かけになりました。

両陛下が最初にお訪ねになった観音崎公園は、陛下がご研究になっているシダが40種ほど生息しているところです。
陛下は、近くに生えているシダの一つ一つの名を説明者に確認をしながら、皇后さまとご一緒に観察をなさいました。

途中陛下は、コショウの仲間の植物、フトウカズラに大変興味を示され「三浦にもあるのか、三浦では何月に花が咲くのか」と説明者に熱心に声をかけていらっしゃいました。
戦没船員の碑を参拝された両陛下
その後、天皇陛下と皇后さまは浦賀水道が一望できる戦没船員の碑に向かわれました。
この碑は戦争中、不幸にも尊い命を落とされた船員6万331人を弔い、戦争の反省と平和を願って建てられたものです。

両陛下は、花を捧げられ、碑の前でしばし、黙とうをされ、戦没船員の冥福を祈られました。

久しぶりに、おそろいでお出かけになった三浦半島は、天皇陛下、皇后さまの楽しい思い出の一日となったことでしょう。
(「皇室ご一家」第161回 昭和57年5月22日放送)