高さ約10メートルの“翼の生えた”彫刻に、乳母車が貼り付けられた絵画。ドイツを代表する現代アーティスト・アンゼルム・キーファー氏が手がけたダイナミックな作品が、二条城の伝統的な建築や日本庭園に溶け込む様は見事の一言。ぜいたくな京都のアート体験をご紹介する。

今にも飛び立ちそうな巨大彫刻

アンゼルム・キーファー氏はドイツの暗黒の歴史や戦争の記憶、神話などをテーマにしたスケールの大きい絵画や彫刻で知られ、1999年には高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞している。

《ラー》(2019)
《ラー》(2019)
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二条城を舞台にした「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展で、来場者がまず目にするのは、二の丸御殿台所の前庭に設置された高さ約10メートルの《ラー》。台座にあたる部分には、とぐろを巻いた蛇が獲物を狙っているかのように天空を見上げ、てっぺんでは、巨大な翼が生えたパレットが太陽光線を浴びている。

京都の空に羽ばたくパレット
京都の空に羽ばたくパレット

作品の後ろ側に回ってみると、パレットの穴から光が漏れ、鉛でできている大きな翼が今にも京都の空に舞い立ちそうな神々しさすらあり、作品名に《ラー》という古代エジプトの太陽神をつけたのも納得だ。

ユニークな白いドレス群が出迎え

台所の中に入ると、伝統的な日本建築に引き立てられるように凜と立つ白いドレスの作品群に目を奪われた。

伝統的な日本建築が白いドレス像が引き立たせていた
伝統的な日本建築が白いドレス像が引き立たせていた

頭部がステンレススチールの天体だったり、羽根のついたハンガーだったり、非常に奇抜だが、これは革新的な仕事を収めた女性達が活躍した分野を表しているそうだ。バックにある金色の絵の具で数式などが描かれた絵も目を引く。

頭部にご注目!」
頭部にご注目!」

そして、台所の入り口正面には、キーファー氏がこの展覧会のために描きあげた新作《オクタビオ・パスのために》がど~んと待ち構えている。

人間の顔が逆さに…

幅約10メートル、高さ約4メートルの大作だ。巨大なこの作品に近づいてじっくり眺めてみると、中央部分にムンクの「叫び」にも似た口のようなものがあることに気づく。筆者は当初、これは魚かと思ったが、何と苦痛にゆがむ人間の顔が逆さに描かれていた。この絵の題材は日本への原爆投下だったのである。

《オクタビオ・パスのために》(2024)
《オクタビオ・パスのために》(2024)

戦後80年の今年開催されるこの展覧会のためにこの作品を作ったこと自体に、キーファー氏の深いメッセージが込められている。

絵に貼りついている乳母車

《オクタビオ・パスのために》と同じ空間に、もう一つ、日本の原爆をモチーフにした作品がある。絵画なのに、乳母車が立体的に張り付いている《オーロラ》だ。

《オーロラ》 (2019-2022)
《オーロラ》 (2019-2022)

ベースとなったのは、キーファー氏が目にした原爆投下後の広島で撮影された1枚の小学校の写真だという。作品を横から見ると、乳母車とともに、焼けた校舎のむき出しになった鉄骨の骨格が一層痛々しげに迫ってくる。

横から見ると乳母車と焼けた校舎の骨格が浮き彫りに
横から見ると乳母車と焼けた校舎の骨格が浮き彫りに

キーファー氏は80年前の1945年、第2次世界大戦の終戦の年に生まれ、生々しい戦争の傷跡を目の当たりにして育った。「人類はなぜ同じ悲劇的な歴史を繰り返すのか」と問いかけているのだ。

“のどかな麦畑”に秘められた歴史

二の丸御殿御清所には一面に麦畑が広がっていた。一見、のどかなインスタレーションだが、戦争の勝者と敗者との軋轢を象徴した作品である。

《モーゲンソー計画》(2025)
《モーゲンソー計画》(2025)

というのも、これは第2次世界大戦中に、アメリカの財務長官モーゲンソーが、ドイツが二度と戦争を起こさないように、完全な農業国にしようとした計画が題材となっているのだ。

麦の穂先をつぶさに眺めると、金箔で塗装されている。

穂の先には金箔 
穂の先には金箔 

キーファー氏は記者会見で「京都に初めて来たのは1994年で、金箔を使った絵画に魅せられ、それまで以上に金を多様するようになりました」と語っている。

自然光の下で際立つ作品の輝き

その金箔の美しさを際立たせているのは、自然光での展示だ。薄暗い伝統建築に差し込むわずかな太陽光線に照らし出される金が絵全体を包む様には息をのまずにはいられない。

自然光だけで暗闇に浮かび上がる絵
自然光だけで暗闇に浮かび上がる絵

友人として音声ガイドを務め、内覧会で《ラー》の前で踊りを披露したパフォーマーの田中泯氏はキーファー氏が自然光での展示にした理由をこう説明した。「雨の日も曇りの日もきっと作品はまったく違って見えると思います。それがキーファーさんの望みなのです。いつも同じだと面白くないではないか、と」

 
左)キーファー氏、右)田中泯氏
左)キーファー氏、右)田中泯氏

そして「二条城の建物も生き生きしているし、キーファーさんの絵はまるで昔からここにあったかのよう」と続けた。新作や初公開も含め、33点もの作品が見られるキーファー氏のアジア最大規模のこの展覧会の充実ぶりを、誕生日わずか2日違いの80歳の二人の笑顔が物語っている。

庭にもドレスの作品が
庭にもドレスの作品が
 

また、この展覧会の開催を記念して、4月25日から5月1日には、去年全国公開された、同じく世界文化賞受賞者であるヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」が1週間限定で京都の映画館で上映される。

キーファー氏が「作品の解釈は見る人に委ねる」と言う「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展は6月22日まで。京都の風景に溶け込むキーファーワールドを堪能してみてはいかがだろうか。

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勝川英子
勝川英子

フジテレビ国際局海外広報担当。
報道時代にパリ支局長を経験。
2016年にフランスの国家功労勲章を受章。
2003年からフランス国際観光アドバイザー。
幼少期を過ごしたフランスをこよなく愛し、”日本とフランスの懸け橋になる”が夢。