約500年の歴史を持つと言われる掛川市の“横須賀凧”。高齢化や文化の移り変わりによって凧職人が減少する中、伝統を絶やすまいと祖父からその技術を受け継ごうと奮闘する男性の思いに迫った。

夢破れ故郷へ…憧れたのは祖父の背中

2月2日に掛川市で開かれた恒例の「遠州横須賀凧揚げまつり」。

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毎年、この祭りに特別な思いを持って参加しているのが凧職人の石川隼大さんで、「自分で作ったものが上手に揚がる達成感や満足感が凧の魅力」と話す。

高校時代の石川さん
高校時代の石川さん

幼いころから野球に打ち込んだという石川さん。

高校卒業後は、プロ野球の審判員になることを夢見て四国へ。

2019年には独立リーグで最優秀審判にも選ばれた。

しかし、目標としていたNPB=日本野球機構の審判員になることはできず、20歳の時に地元・掛川市へと帰郷。

物心ついた時から凧職人である祖父・昇さんの製作風景を目にしていて、楽しそうに作っている姿が印象的だったことから後を追って凧職人の道を歩むことを決意した。

約500年の伝統も職人は減少の一途

ユニークな形と豊かな色彩が特徴の遠州横須賀凧は戦国時代に敵陣の測量や通信手段に利用されたのがはじまりと言われ、約500年の歴史を誇る。 

しかし、時代と共に職人は減少の一途をたどり、骨組みや和紙の貼り付け、さらには色付けなど現在すべての工程を1人で担えるのは昇さんと石川さんだけ。

石川さんは昇さんと夕食も共にしているが、会話の中身はもっぱら凧の作り方に関することばかりだといい「祖父も高齢にはなってきているけど、まだまだ教えてもらうことがたくさん残っているので、体に気を付けて長生きしていろいろなことを教えてもらえたらいい」と話す。

二度目の挑戦で大空へ

前日からの悪天候で開催が危ぶまれたものの何とか雨も止み、県内外から20団体が参加した2025年の凧揚げまつり。

凧揚げまつりの参加者
凧揚げまつりの参加者

石川さんも横須賀凧の販売をしながら参加者との交流を図る。

参加したひとりによれば、石川さんは「線の書き方がうまい。なかなかできない」とのことだ。

そして、3年後に築城450年を迎える横須賀城をPRするために2週間かけて製作したという全長4メートルの凧を手に仲間と共に凧揚げ会場へ。

この日は風が弱く、凧揚げにはやや厳しい気象条件で、糸目などを入念に確認する石川さん。

しかし、凧はすぐに落下してしまう。

傍らには心配そうに見守る祖父の昇さんの姿もあった。

大空を舞う石川さんの凧
大空を舞う石川さんの凧

石川さんは風の状態も考慮しながら凧のバランスなど微調整を図り、再び挑戦する。

すると凧は大空を舞い、糸を手繰る石川さんの表情にも充実感が漂った。

昇さんも「上等」とかわいい孫をねぎらう。

いつの日か祖父を追い越せるように

凧揚げまつりから11日。石川さんの姿は静岡市の草薙球場にあった。

野球の審判をする石川さん
野球の審判をする石川さん

凧作りに専念するため2024年には仕事を辞めたものの、それだけではまだ食べていけないため、空いた時間にはアマチュア野球の審判を引き受け、収入を賄っている。

ただ、審判で鍛えた精神力は凧の製作にも生きるようで「どちらもやるときにはそのことだけを考えて集中してやっている。凧もそうだけど、野球も大好きなので両方とも好きなことを続けていけたらいい」と笑顔を見せた。

石川さんと祖父の昇さん(左)
石川さんと祖父の昇さん(左)

本格的に凧を作るようになって5年。

大ベテランである祖父の腕には遠く及ばないが、いつの日か追い越せるよう、そして地域の伝統を絶やさぬよう精進する覚悟で、「年々凧の揚がる枚数も減ってきているので、会場の空が凧で埋め尽くされるような状態になってくれればいい」と力強く述べた。

(テレビ静岡)

テレビ静岡
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