30年前のその日の朝は冬晴れだった。気温は約6℃。肌寒さは残るものの、数日続いた曇天から一転、澄んだ空が広がる月曜日だった。
通勤通学客はコートを襟立てつつ、いそいそと電車に乗り込んでいく。そんないつも通りの1週間の始まり、のはずだった。
しかし午前8時5分ごろ、帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京メトロ)日比谷線の指令所に、駅員から一本の無線通信が入る。
「こちら広尾駅の助役です。電車内で『透明の液体から臭いがする』とお客さんに言われたんですよ――」

何気ない駅員からの報告。それが、世界でも類を見ない大規模テロの始まりだとは、誰も気づかなかった。
未公開の無線音声を入手
その日。1995年3月20日の「地下鉄サリン事件」から今年で30年が経つ。
記者は当時の関係者への取材を進める中、事件当時の営団地下鉄で、乗務員や駅員らが交わしていた無線音声を入手した。
音声には、事件発生直後、対応に追われた地下鉄職員らの肉声が記録されていた。これまで、警察や消防の無線のやり取りは公表されてきたが、今回、それらに先駆けて事件の最初期に対応した、地下鉄職員らの無線交信の全容が明らかになった。

そうした無線記録を織り交ぜつつ、フジテレビでは3月21日にドキュメンタリードラマ「1995~地下鉄サリン事件30年 救命現場の声~」を放送した。
この連載では、放送で描き切れなかった無線音声の記録の詳細と、実際に運転席にいた男性の証言から、当時の様子を辿る。
大勢の乗客や駅員が死亡 現場ではなにが?
地下鉄サリン事件は1995年3月20日朝、通勤時の営団地下鉄車内で発生した。宗教団体「オウム真理教」の信者らが猛毒の神経ガス「サリン」を散布し、乗客や駅員ら14人が死亡。約6300人が負傷した。

サリンが散布されたのは、日比谷線と丸ノ内線でそれぞれ2車両ずつと、千代田線で1車両の計5車両。
そのうち、FNNが入手した音声記録は日比谷線のもので、異変が確認されてからの一部始終を、指令所と駅員、乗務員らが報告し合う様子が克明に記録されていた。
日比谷線は、北千住駅から中目黒駅間を南進する路線を「A線」、逆に北進する路線を「B線」と呼称し、車両番号は数字とアルファベットを組み合わせて表す。
事件が起きた電車は、それぞれA線の「720S」(通称20S)、B線の「711T」(通称11T)だった。
「異臭」告げる現場からの報告
事件に関する最初の無線通信は、広尾駅の駅員から、指令所への「異臭」の報告という形で、午前8時5分ごろに交わされた。
(※音声中で「○○」は指令所の指令員、「△△」は駅員や乗務員らの実名。以下同じ)
指令員「はい、指令所○○です」
駅員「はい、おはようございます。こちら広尾の駅務助役の△△という者なんですけども」
指令員「△△さん、はい」
駅員「B線の11Tなんですけども」
指令員「はい」
駅員「第8車両のナンバー3ドア付近なんですけども、ちょっとなんか透明の液かなんかで、『かなり臭いがする』ってお客さんから言われたんですよ」
広尾駅の駅員から「異臭」の報告を受けた指令員は、電車が向かった先の六本木駅の駅員に、車内の様子を確認するよう指示。直後に、駅員から「第8車両付近でシンナーがこぼれているらしい」と返答があった。

電車はそのまま神谷町、霞ヶ関方面へ進行した後、今度は車内にいる車掌から異常を伝える通信が入った。
車掌「第8車両なんですけども」
指令員「はい」
車掌「シンナーの臭いがすごい充満していて、お客さん痙攣している人がいるんですよ」
指令員「霞(霞ヶ関)の11T?」
車掌「神谷町の11T」
指令員「シンナーの臭いね?第何車両?」
車掌「第8」
指令員「了解。指示があるからね、霞で」
異変は日比谷線の反対側でも
一方、A線の八丁堀―築地間を走行していた20Sでも、異変は始まっていた。
車掌から、指令所に「第3車両で非常通報ボタンが押された」と報告が入った直後、停車した先の築地駅の駅員からの焦った様子の声が、指令所に飛び込んできた。
駅員「築地駅△△です」
指令員「今、築地駅に止まっているA線の20S、何かありました?」
駅員「えーと、急病人がかなりいるんです」
指令員「急病人?」
駅員「はい、これから救急車要請します」
指令員「何、何、何があったんですか?」
駅員「私こちらの反対側のホームなんですよ。今ちょっと分からないですけども」
指令員「救急車要請して」
駅員「はい」
車内で爆発?錯綜した事件の原因
それぞれの報告を受けた指令所の判断は早かった。
午前8時13分には日比谷線全列車の運行を一時停止する「全線発車待ち」を指示。
同15分にも「対策本部」を設置し、同21分には、全列車の車内を点検するよう呼びかけている。

その一方で、日比谷線の乗務員全員に、一斉に事故原因を「爆発」だと伝える発信もしており、異変の原因については情報が錯綜していたことが伺える。
指令員「先ほどの全線発車待ちの理由は、築地駅A線の20Sで、車内で『爆発』みたいなのが起きまして、だいぶ負傷者が出ているそうなんです。未確認ですが、A線の築地20Sで、車内で爆発らしきものが起きまして、だいぶ負傷者が出ているそうです」
被害は、次々と報告されていく。

20Sが停車した築地駅からは「急病人が5人」、11Tが通過した神谷町駅でも「ホームに2人倒れている」と連絡があった。
その他にも、八丁堀駅から「2人が痙攣していて、1人が人工呼吸を受けている」と無線が入り、複数の急病人がいることが明らかになった。
原因は「薬品」か?
原因は爆発か薬品か、なぜこんなにも広範囲で急病人が出ているのか――
指令所が特定を急ぐ中、疑問に答えるかのように、11Tの乗務員らから報告が届いた。
駅員「至急至急。霞の11Tから緊急通話」
指令員「11T、緊急通話どうぞ」
駅員「第8に、薬品が床にこぼれているんですよ」
指令員「第8に薬品がこぼれている」
駅員「新聞紙に包んであるのから、こぼれているんですけど、これがなんか強烈らしくて」
指令員「強烈?」
駅員「ええ」
指令員「じゃあ現場保存のために、お客さん降りてもらって、ドア閉めちゃって」
20Sをめぐっても、同様の報告が入った。

サリンが散布された直後、車内で異臭に気づいた乗客は、サリンが入った袋を小伝馬町駅でホームに蹴り出していた。
それから約30分後、この袋を小伝馬町駅に停車した別の車両(38S)の乗務員が発見し、指令所に報告した。
乗務員「指令所、指令所」
指令員「はい」
乗務員「小伝馬町の38Sですけども、車内の点検は異常ないんですけども、Aホーム第3車両付近にですね。新聞紙に包まれている薬品が置いてあるんですね」
指令員「お客様降ろしましたよね?」
乗務員「はい、降ろしまして、車内の点検も異常ないんですけども、ホームに薬品の新聞紙がありますね」
指令員「ホームの中ほど?」
乗務員「ホームの、ええ」
指令員「じゃあ駅の方で点検させますからね」
乗客は「全員退避」も運転士からSOS
こうした報告などから、指令所では騒動の原因を、「薬品」だとおおむね断定したことが伺える。
直後の午前8時35分ごろから、全駅の駅員に相次いで指示を出した。

指令員「駅に一斉に掛けました。指令の○○です。指令の603号。全駅、全駅のお客様を駅外に退避せよ。繰り返します。全駅はお客様を駅外に退避せよ。駅は、お客様を駅外に退避させよ」
指令員「日比谷線は8時37分、8時37分に営業を全駅停止して下さい。繰り返します。8時38分に、日比谷線は全駅営業停止です。お客様は構内から出して下さい。全列車、営業停止にいたします」
指示を受けて、乗客の退避完了の報告が指令所に続々と届く。
しかし一方で、今度は乗務員らから体調不良を訴える連絡が入り始めた。

運転士「小伝馬の28Sなんですけども」
指令員「はい、B線の小伝馬?」
運転士「はい、運転士ですけども」
指令員「はい、どうしました?」
運転士「気持ち悪いですね」
指令員「どういう風に気持ち悪いですか?吐きっぽいとかめまいがするとか?」
運転士「心臓がドキドキして駄目ですね」
指令員「じゃあ、空気の良いところにとりあえず移って下さい」
運転士「築地の20Sです」
指令員「はい。築地の20S」
運転士「もう目が回っています」
指令員「え?」
運転士「もう目がチカチカしています」
指令員「運転士ですか?」
運転士「はい、運転士です」
乗務員「指令所、指令所」
指令員「はい」
乗務員「小伝馬28Sです。駅員さんが倒れちゃって」
指令員「え?」
乗務員「駅員さんが倒れちゃって駄目なんですよね」
指令員「28?」
乗務員「はい。お客さんも倒れて。救急車を要請します」
千代田線では社員2人が死亡
次々と届く駅員や乗務員ら職員からのSOS。指令所は午前8時50分ごろ、全職員も駅から退避するよう指示した。
指令員「一斉にかけています。指令所○○です。日比谷線の各駅各列車、お客様を避難誘導させたあと、係員等も避難して下さい。復唱します。指令所から○○です。駅構内、あるいは列車からお客様を避難誘導させた後、係員も避難するよう通告いたします」

対応は迅速だったものの、営団地下鉄では乗客のみならず、職員らも複数人が救急搬送された。日比谷線では職員の死者は出なかったが、千代田線では2名の社員が亡くなった。
20S運転士が取材に証言
FNNが入手した音声はその後、乗客と職員全員が避難したという各駅からの報告を経て、途絶える。音声には一貫して、原因不明の事態に最前線で対処する職員らの生々しいやり取りが記録されていた。
FNNはその後、関係者への取材を進め、サリンが散布された電車「720S」を運転し、無線音声にも肉声が記録されていた運転士の証言を得た。
あの時、目の前で何が起き、何を考えていたのか。
次回は、運転士の視線を通じて事件を辿る。
【後編:『「私はあの日の運転席にいた」地下鉄サリン事件から30年目の告白…客を搬送後に自身も被害に 運転士が語るオウムへの憤り』に続く】