全日本卓球選手権で、自身初の3位入賞を果たした大野市出身で20歳の大藤沙月選手。2024年国際舞台にすい星のごとく現れ、一気にブレイクした。コーチが「素直、向上心、負けず嫌い」と分析する彼女の素顔に迫った。
「すごいことしちゃったんだな」

大藤沙月選手は2024年4月から本格的に卓球の国際ツアーに参戦。アジア選手権のダブルスでは、日本人として54年ぶりの優勝を果たし、10月には世界のトップ選手が集まる大会「WTTモンペリエ」の女子シングルスで初出場・初優勝を果たし、一躍、世界に名前が知れわたった。

自身の活躍について、大藤選手は「その時は、1試合ごとに勝っていこうと思っていたが、すごいことをしちゃったんだなと思う」と振り返る。

プレースタイルを“守りから攻め”へ
急成長の要因については「去年の2月にプレースタイルを守りから攻めに変えた」といい、「最初は試合でも勝てずに自分でも大丈夫かなと思ったが、結果が出てうれしい」と話す。

“守りから攻めへ”のきっかけは、2024年の全日本選手権で、パリオリンピック代表の平野美宇選手に敗れたことだとコーチの坂本竜介さんは指摘する。「完封負けをしたのは、一番いいきっかけになった。オリンピックでメダルを取りたいなら、いまのスタイルなら無理。世界で勝つためには攻撃的に変えないといけないと感じた」という。

男子の指導経験が豊富な坂本コーチのもと、大藤選手はフットワークを強化し、卓球台から離れていても強打を放つパワーや技術を身に着けた。
大藤選手は「女子選手は、卓球台の近くで、前でプレーすることが多いので、周りの選手より動ける幅を大きくすると有利になれる。動く練習を多くやっている」と話す。

さらに、「女子選手でも、自分のプレーを真似している人も増えてきた。嬉しいのと、真似しないでよ!と思うこともある」と笑顔を見せる。
抜群の運動神経と素直さで急成長
大藤選手は、卓球のコーチを務める父の影響で3歳から競技を始め、大野市の有終南小学校2年生の時に全国大会で準優勝し、小学6年生の時には日本代表として世界ジュニアに出場した。

その後は卓球の強豪、大阪の四天王寺中学・高校に進学し、女子シングルスで全中優勝、インターハイでは2年連続で準優勝するなど、結果を残してきた。

大藤選手の幼少期について、父の弘雅さんは「とにかく運動神経が良かった。足は速かったし、負けず嫌い。卓球では“真似が上手”で言ったことを体で示すと、真似して上達していた」と話す。

中学から親元を離れたことについては「さみしい部分はあったが、強くなってほしいし、上を目指してほしいと思った。夜中よく泣いていたと聞くが、自分で覚悟を持って行ったので、親には言わず頑張ろうという気持ちが、いまにつながっているのでは」と娘の努力を評価する。
周囲から「抜けている」と言われる一面も
幼少期は憧れの存在だった平野美宇選手が、いまはライバル。大藤選手は「この時は憧れの存在だったけど、いまはそこに勝っていかないとオリンピックが見えてこない。成長を感じる」と次を見据える。

大藤選手の人柄について坂本コーチは「素直な人間性。向上心の強さ、負けず嫌い。この3つが特徴。ここまで強くなると素直さが難しかったりするが、コーチの意見も受け入れるし、よく話を聞く。素直さ、向上心、負けず嫌いが急成長の要因」と分析する。

中学からの同級生で高校からダブルスを組む横井咲桜選手は「プレーを見ているとかっこいいが、抜けている。ちょっとのミスでうわ!となってかわいい」と笑う。

全日本選手権では、準々決勝で日本代表のエース・早田ひな選手にストレートで敗れた大藤選手。自身初の3位入賞を果たしたものの、持ち前の向上心と負けず嫌いの精神で、より高みを目指す。