かつて城下町だった新潟県五泉市の村松地区に混在する旧町名と現代の住所表記。混乱の火種となっていたこの状況について、市は旧町名を生かした新たな町名に変更する方針を決めた。これで約20年にわたる議論は決着するのだろうか。

“旧町名”が混在…「隣は全然分からない」

「関係団体等の調整の結果、32の町割りに“名称”をつけた案で進めていきたいと考えております」

1月20日、五泉市の田辺正幸市長が発表したのは、村松地区の町名の変更方針についてだ。

五泉市 田辺正幸 市長
五泉市 田辺正幸 市長
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村松地区は江戸時代に城下町・村松藩として栄えた地域で、住民もその歴史を大事にしてきた。

その結果、住所上は村松乙という場所には『本堂町』に『浦寺』など、看板に書かれているのは幕末期の昔の町名ばかり!現在の正式な地名は見つからない。

“旧町名”が書かれた看板
“旧町名”が書かれた看板

街の人に住んでいる地域を聞いてみると、「旧名だと『新町』。住所は甲乙の『甲・何番地』。自分のところは分かるから問題ないが、隣はもう番地が全然分からない」と話した。

日常生活で使われることが多いという昔の町名。

しかし、地名と通称名が合わない環境に県外出身者は「『新町』『新道』とかごちゃごちゃになっている。分からないから覚えるしかない」と、困惑した表情を浮かべた。

町名変更へ議論開始も…市と住民とで意見対立

郵便配達や災害時の通報などで混乱が生じかねないことから、行政は1996年に村松地区の住居表示の変更の議論を開始。

しかし…「歴史ある地名を失うことは郷土を失うことである!」「一度失った町名は二度と復活することはないでしょう。かけがえのない財産を失うことになります!」

10年前には“東西南北”などで地区を分けようとした市と、旧町名を残したい住民とで意見が対立。

反対する住民からは「東西南北は荒っぽすぎる。旧町名は長年使いなれているし、歴史的な財産でもあるし、文化的な財産でもある」などの意見が聞かれていた。

市と住民とで意見対立も(2014年)
市と住民とで意見対立も(2014年)

議論を重ねた結果、市は地区を32に分け、それぞれ『村松』のあとに旧町名がついた名称とする案を作成した。

そして、2023年6月からは住民への説明会などを開き、2024年9月末には地域全体の9割以上がおおむね合意。ようやく一定の方向性が定まったのだ。

地域全体の9割以上がおおむね合意
地域全体の9割以上がおおむね合意

五泉市の田辺正幸市長は「ある程度出口が見えつつあるのかなと。今後の村松地域の発展を、皆様の共感を得ながら、丁寧に事業を進めていきたいと」と話した。

市は2026年度中には市議会での議決や住民表示台帳の整理などを行い、町名を変更していく考えだ。

(NST新潟総合テレビ)

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