昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!

阪神タイガース一筋で19年、名ショートとして活躍し阪神生え抜きの選手として初めて2000本安打を達成した藤田平氏。通算2064安打、首位打者1回、ダイヤモンドグラブ賞3回。1978年には208打席連続無三振のプロ野球記録(当時)を樹立した“虎の安打製造機”に徳光和夫が切り込んだ。

1年間全試合出場で併殺打ゼロ

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稀代のヒットメーカーとして活躍した藤田平氏は様々な記録を残している。1969年シーズンは全試合に出場し併殺打が1本もない。これは史上初の快挙だった。その後も2009年の田中賢介氏(日本ハム)しか達成していない。

徳光:
藤田さん、これは驚きの記録なんですが、こんなことあるんですか。

藤田:
あったんですよね。

徳光:
すごいですねぇ。考えられないです。

藤田:
いや、そんなんあったんだなっていう感じ。自分で意識してやったわけでもないし。

さらに、1978年4月30日から7月5日まで208打席連続無三振と、当時のプロ野球記録を樹立した(現在の記録は1997年にイチロー氏が樹立した216打席連続無三振)。しかも、その期間の空振りはわずか8回だ。

徳光:
これもすごいなぁ。

藤田:
早打ちということもあったと思うんです。僕はイチローとよく似てて、必ずストライクを取りに来るボールを狙ってたから。初球にいい球が来たら必ず打つ。カウントとかはあんまり考えずに、打てそうなボールが来たら打つ。

徳光:
だから、三振しない、空振りしないということなんですね。
その藤田さんの打撃の極意はどんなところにあるんですかね。

藤田:
バッティングのタイミングですよ。バッターとピッチャーのタイミングが90%ですよ。

徳光:
それは駆け引きってことですか。

自身のバッティングを説明する藤田平氏
自身のバッティングを説明する藤田平氏

藤田:
ピッチャーというのは、バッターのタイミングをずらすように放ってくるわけです。タイミングをずらされても合わせられるように、左足(軸足)で調整するわけですよ。遊びというか、そういうのを作っておく。ストレートで待ってて変化球が来たら、スッと左足をずらしたり。そのタイミング。
イチローもスーッと左足をずらすでしょ。彼も「軸足をずらすことで打つポイントが多くなる」って言ってるじゃないですか。
普通のバッターは、打つポイントが平面でしかない。軸足をずらせば前のほうだったり色んな打つポイントができてくる。だからイチローはあれだけ打てたわけですよ。これができてるバッターはイチローと落合(博満)。

徳光:
落合さんですか。

藤田:
ほんで、調子のいいときの今岡(真訪)。でも、今岡と話をしたら分かってなかったね。自然とできとったんや。

徳光:
大谷選手はどうですか。ちょっと近いところないですかね。

藤田:
ありますよ。ですけど、まだまだこれから。これができると、もっと打つんとちゃうかな。
僕は、これを子供のときから棒と石ころでやっとったんですよ。

徳光:
子供のころ、石を棒で打ってたんですか。

藤田:
ボールとかバットとかがなかったんです。それで自然と覚えた。

陸上一家で1人だけ野球

徳光:
藤田さんは和歌山出身でいらっしゃいますね。お生まれはどの辺りなんですか。

藤田:
和歌山港。港のそばで生まれたんですよ。親父は船のエンジンとかを作ってる鉄工所だったもんですから。

徳光:
鉄工所の跡を継ごうとは思わなかったわけですか。

藤田:
ないない。兄弟が多かったんでね。9人兄弟で僕は一番下ですから。
兄は皆、陸上しとったんですよ。

徳光:
野球は藤田さんだけですか。

藤田:
僕だけ。僕も中学に入ったとき、陸上に引っ張られたんですけどね。絶対嫌だっていうことで野球をやったんです。

徳光:
その頃から右投げ左打ちだったんですか。

藤田:
そうだったんです。僕は右打ちから左打ちに変えたっていう記憶がないんですよ。

徳光:
最初から普段の生活は右で、バッティングだけ左ですか。

藤田:
はい。

徳光:
藤田さんの時代では右投げ左打ちは珍しいでしょ。

藤田:
珍しいですね。うちの父親が野球をやってる人に右に変えたほうがいいか聞きに行ったくらいですから。でも、左のほうが有利やということで、そのままずっとやってきたんですよ。

センバツ準優勝…ライバルたちとの激闘

徳光:
高校は市立和歌山商業(現・市立和歌山高)。

藤田:
僕は、この学校の6期生ですからね。

徳光:
まだ歴史が浅かったんですか。

藤田:
元々は(定時制で)女子高みたいな感じのところだったんですよ。(全日制になって男子も入学するようになり)僕らが男子6期生。

市立和歌山商は藤田氏が2年だった1964年に春の甲子園初出場を果たし、翌1965年にはセンバツで準優勝する。野球部を率いていたのは長谷川治監督。明治大学を卒業後、日本通運などでプレーし、引退後は海南・日高・市立和歌山商などで監督を務めた名将だ。

藤田:
長谷川監督は、無名校を甲子園に出すって有名な監督だったんですよ。それで、中学の監督・部長から「甲子園に行きたかったら市和商(市立和歌山商)へ行け」って言われた。
そしたら、野球部に100人くらい集まったんです。1学年に3学級しかないんですよ。それやのに100人来たんです。

徳光:
長谷川さんの名前で。

藤田:
そう。だけど非常にきつい。きついっていうもんじゃなかったね。教え子がたくさんおって、大学とかノンプロとかに行ってる。そういう人が来て、どんどんノックしたり…。それで、夏の大会までには、もう13人くらいになってた。

徳光:
100人がですか(笑)。
和歌山って野球王国って言われてたと思うんですけど、かなり強豪が多かったんじゃないですかね。

藤田:
多かったですね。

徳光:
和歌山県出身ですと、同学年にはどういう選手がいらっしゃいますか。

藤田:
和歌山県出身だと、僕と得津(高広)。

徳光:
ロッテに行った得津さん。

藤田:
はい。彼はPL学園に行ったんですけどね。和歌山の紀之川中学だったんですよ。

徳光:
“東海の星”上田次朗さんもそうじゃないですか。

藤田:
上田次朗さんは南部(みなべ)高校です。上田君はね、そのときはピッチャーをしてなくて、ファーストを守ってたんです。

徳光:
そうなんですか。

藤田:
夏の大会のときにエースがケガをして、それで、上田君がサイドに変えて出てきたんです。

徳光:
2年秋の近畿大会では、育英(兵庫)の鈴木啓示さんと対戦されてますよね。初めて出会うようなピッチャーだったんじゃないですか。

藤田:
もうスピードといい、迫力といい、素晴らしいピッチャーやったね。1番からずっと三振ですよ。9番まで回って、また回って。3周ぐらいほとんど三振ですよ。

徳光:
藤田さんも打てなかった。

藤田:
打てなかった。僕も三振2回くらいしたかな。

市立和歌山商は、秋の近畿大会準決勝で鈴木啓示さん擁する育英に完封負けを喫したものの、翌年春の甲子園に出場し準優勝。藤田氏は、この大会2回戦の中京商(愛知)戦で、第1回大会以来41年ぶり大会史上2人目となる1試合2本塁打の快挙を成し遂げた。

藤田:
1本はランニングホームランだったんですよ。それで注目されたような感じなんですけど。

徳光:
決勝戦が岡山東商、平松(政次)さんでしたかね。2対1でサヨナラで敗れてしまったわけですけど、これはすごい試合でしたね。

藤田:
そうですね。延長までいきましてね。われわれはスクイズを2回失敗してね。それでやられました。

徳光:
平松さん、それまで全部完封だったんですよね。その平松さんから1点取ったんですよ。

藤田:
いや、取ったけどね…。

徳光:
同期に平松さん、鈴木さんとすごいピッチャーがいるんですけど、印象としては、どちらのボールが速かったですか。

藤田:
スピードでいえば鈴木啓示のほうが速かったね。平松君は、プロへ入ったときはちょっとサイドで放ってたんですけど、当時は真っ向から放ってましたね、

徳光:
江夏さんも同じ関西地区ですよね。

藤田:
彼は1年下ですけど、見たことはありますよ。僕は3年が終わったあとで、後輩たちの試合で塁審した。そこで初めて見た。こんな高校生がおるんかなって思ったんですよ。

徳光:
どういう意味でですか。

藤田:
5年ぐらい落第しとるんとちゃうかなていうくらい、風貌がすごい(笑)。
球も速いしコントロールも…。もうバットがかすらんのよ。

明治大・高田繁が高校に教えに来た

徳光:
藤田さんは、プロを目指してらしたんですか。

藤田:
プロっていうか、プロに行けたらいいなというのは思ってましたよ。でも、ノンプロへ行って、そこで良ければっていう感じだったです。いきなりプロなんて考えたこともなかったです。
そう思ってたら、監督が明治大学出身だったつながりで、明治の島岡(吉郎)監督が僕を取りに来たんです。

徳光:
島岡さんはどういう印象でした。

藤田:
野球だけじゃなくて、いろんな面で厳しい人やなという感じを受けましたね。
その関係で、夏の練習のときに1カ月、巨人に行った高田繁さんとか阪急(現・オリックス)に行った住友平さんとかが、僕を取るために明治大から高校に教えに来てくれた。

徳光:
そうなんですか。

藤田:
それで、明治のセレクションに行ったんです。僕が行くんだったら、野球部の他の連中も取ってあげましょうという形だったんです。

徳光:
でも明治には行かれなかったんですよね。

藤田:
監督ともいろいろ相談して、プロはお金をかけるから潰すことはないやろうと…。

徳光:
育てるだろうと。

藤田:
育てる。大学は先輩もおるし、昔は潰されるかもしれないっていう感じがあったんよ。

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/10/8より)

【中編に続く】

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