昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!

制球力を生かし打者の内角を強気に攻める“ケンカ投法”と呼ばれたピッチングで通算251の勝ち星を積み重ねた東尾修氏。その一方で与えたデッドボールは歴代最多の165。ライオンズ一筋で20年プレーしMVP2回、最多勝2回、最多奪三振1回、最優秀防御率1回。5回の日本シリーズ優勝に貢献したライオンズのレジェンドに徳光和夫が切り込んだ。

【前編からの続き】

池永正明氏・稲尾和久氏との出会い

東尾氏は1968年のドラフトで西鉄ライオンズから1位指名を受けて入団。当時の西鉄には5年で99勝を挙げたエース・池永正明氏、「神様、仏様、稲尾様」と言われるほど信頼された稲尾和久氏など、伝説的な投手がいた。

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徳光:
入団発表のときに池永さんがいたそうですね。

東尾:
スカウトの人が呼んでくれたんですよね。それで、池永さんが来てくれて、「俺が責任を持って面倒見てやる」って言ってくれた。

徳光:
東尾さんはやっぱり池永投手を尊敬してたんですか。

東尾:
そうです。

徳光:
でも、残念ながら池永さんと一緒にユニフォームを着たのは2年ぐらいですかね。

東尾:
ええ、そうですね。
一番覚えてるのは、大阪球場で野村(克也)さんに投げてて、初球インコース、肩の辺りにわざとピューッと投げたんです。で、2球目は足のくるぶしのところへピューッと投げた。3球目、もう1つボール。それで3ボールになってから、ストライクをバーンって放ったんです。結局、野村さんがおちょくられてるわけです。
池永さんはそういう気の強い人で、僕もいろいろ教えてもらった。

徳光:
あの方が、そのままプロ野球投手として人生を全うしてたら300勝いったでしょうね。

東尾:
正直に言いますと、僕が入ったころには池永さんは投げ過ぎで肩がボロボロになってたんですよ。

徳光:
へぇ、そうなんですか。

東尾:
だから、ピッチング練習するときに池永さんはいないんですよ。お灸してるんです。いつもお灸、お灸だらけで真っ赤でした。

徳光:
稲尾さんとは現役がかぶってるんですか。

東尾:
1年間一緒です。

徳光:
稲尾さんと初めて会ったときの様子は覚えてらっしゃいますか。

東尾:
スカウトの人に呼ばれて稲尾さんの家に行ったの。大きい人でしたよ。和服を着て入ってきてビックリしました(笑)。

巨人戦でON登場に「本物か?」

東尾氏のプロ初登板は平和台球場で行われたオープン戦、相手は巨人だった。

東尾:
巨人は宮崎キャンプが終わったら、いつも福岡でオープン戦をやってから東京に帰る。ということで、いきなり投げさせてくれたんですよ。

徳光:
覚えてらっしゃいますか。

東尾:
ええ。ONが出てきたときはやっぱりビックリしますよね。「本物が来てるのかな?」みたいな。

徳光:
そういう感じですか。

東尾:
ほんとにそういう感じでした。
でも、ジャイアンツの人は、宮崎キャンプで疲れてるから、早く帰りたい一心でポンポン、ポンポン打ってきた(笑)。

稲尾氏が消した!? 幻のプロ初勝利

東尾氏は1年目、8試合に登板(先発は4試合)し、0勝2敗と勝ち星を挙げることはできなかった。しかし、本当は勝っていたはずの試合があったという。

東尾:
私、6回まで投げて勝ってたんです。

徳光:
ええ。

東尾:
それを壊したのは稲尾さんなんです。池永さんが元気のいいときに、「俺がいつでもお前のリリーフに行ってやるから」って言ってくれてたんですよ。でも、稲尾さんが投げて逆転負けされた(笑)。

徳光:
そうなんですか。でも“神様”には何も言えませんよね。

東尾:
いやぁ、次の年、稲尾さんが監督になったんですけど、それを少しいじらせてもらったりしてました(笑)。

徳光:
そうなんですか。そういう意味では、いい先輩に恵まれましたね。

東尾:
そうなんです。厳しい池永さんと優しい稲尾さんでした。

プロ入り直後に自信喪失…打者転向を考えた

徳光:
プロに入ってプロのすごさを感じることはありましたか。

東尾:
いや、ほんとに自信がなくなったって。「ピッチャーは無理だな。打つほうに変わりたいな」って。1年目の5月くらいに、「ピッチャーは自信がないんで、バッターに転向させてくれませんか」って言ったことがあります。

徳光:
それは却下されたんですか。

東尾:
「今シーズンは待て」って言われました。

徳光:
でも、今にして思うと、打者にならなくて良かったですよね

東尾:
そうですね。

東尾:
打者だったら一軍に上がれたかどうかも分かんない。ちょっと想像がつかないです。

徳光:
打者を断念して投手に専念という切り替えがあったんですか。

東尾:
切り替えというか、その次の年に“黒い霧”になって、ピッチャーがいなくなったから、それでもう話が消えてしまった。

徳光:
投手としてやらざるをえなくなったわけですね。

東尾:
ええ、そうなんです。

投手が足りない…41試合に先発

打者転向どころではなくなった東尾氏は2年目からフル回転。2年目は31試合に先発し11勝、3年目は31試合に先発し8勝、4年目は41試合に先発し18勝と大車輪の活躍を見せる。

徳光:
先発が41回って、すごいよ、東尾さん。

東尾:
41先発ですか。丈夫だったんですね。ほんとに自分の体に感謝。

徳光:
中何日で先発。

東尾:
そういうのはないですね。ローテーションっていうのがなかった時代ですよ。

徳光:
100球で降板するなんてことも、当時はなかったわけですよね。

東尾:
誰も100球とか計算してくれないですよ(笑)。

徳光:
数えてないですからね。

東尾:
数えてないっていうより、疲れたか、痛いかとか、そういうので…(笑)。

阪急の黄金期 福本豊氏と真っ向勝負

徳光:
これだけ投げたことによって、だんだん投球術を身につけられるようになったんですね。

東尾:
ええ、ひとつは外スラを使い始めた。

徳光:
へぇ、そうなんですか。

東尾:
ターゲットは長池(徳士)さんだったんですよ。インサイドに入ってくるスライダーを投げると全部逃げてくれる。まあ普通だと逃げますよね。そこに外スラ。

阪急ブレーブス一筋で14シーズンにわたりプレーし3度のホームラン王に輝いた「ミスターブレーブス」こと長池徳士氏と東尾氏の通算対戦成績は打率2割3分1厘、5本塁打、18三振だ。

徳光:
あの当時の長池さんに、これだけしか打たれてないっていうのは、明らかに長池さんを抑えたって言えると思うんですよね。

東尾:
阪急が強い時代、福本(豊)とか加藤秀司とか、いいバッターがいっぱいいたんです。

阪急の不動のトップバッターだった福本豊氏。通算2543安打、1065盗塁を記録した「世界の盗塁王」と東尾氏の通算対戦成績は打率2割8分5厘、4本塁打、52三振。

徳光:
やっぱり福本さんは嫌なバッターでしたか。

東尾:
もう嫌ですよ。「どうせ走られるからボークでもいい」と思ってボンボン牽制球を投げてました。

徳光:
打たれただけじゃなくて、足のほうでも嫌だったわけですね。

東尾:
福本さんとは、スポーツ用具の会で1年に1回会う機会があったんですよ。そこで、福本さんがお酒に飲まれて、ペロっと「お前の牽制球は分かる」って言ったんです。

徳光:
お酒が言わせたんですか。

東尾:
そうなんですよ。よく見てる。ピッチャーが牽制球を投げるときの癖をカメラか何かで撮ってたんじゃないですかね。
それで、キャンプのとき、牽制を投げるときに肩が入ってるかどうかを、審判に見てもらったんです。左肩が前に入ってたら(投球動作に入ったと見なされて)ボークになるじゃないですか。どうやれば、一塁の福本さんから肩を入れたように見えるかって…。

徳光:
ああ、なるほど。

福本豊氏に対する牽制球の投げ方を説明する東尾氏
福本豊氏に対する牽制球の投げ方を説明する東尾氏

東尾:
普通だったら牽制はファーストのほうを振り向いて、左肩もそのまま回転させるんですけど、足を出しながら左肩を前に入れる。先にプレートから足を外す。そうすると一塁ランナーからは肩を入れたように見える。

徳光:
肩が入ってるように見えれば、一塁の福本さんはスタートを切るってことですね。

東尾:
それで、審判にそれがボークかどうかを見てもらった。審判に「東尾の牽制はボークじゃない、福本に投げるときもボークじゃない」と思わせないと。

徳光:
なるほど、そういうキャンプのときの審判とのコミュニケーションも大事なんですね。

バットを向ける張本勲氏が怖かった!?

徳光:
東尾さんの現役時代って、パ・リーグにすごい打者がいっぱいいたじゃないですか。例えば、張さん(張本勲氏)にも投げたことがありますよね。

東尾:
そうですよ。やっぱり怖いですよね。当時の東映フライヤーズ(現・日本ハム)って、なかなかインサイドをつけるピッチャーはいなかったと思います。

徳光:
でも、あえてついた。

東尾:
そうですね。ついたと思います。

徳光:
でも、それが真ん中に入ってたみたいですよ。張さんは、お得意さんだったみたい(笑)。

東尾氏は、張本氏には通算対戦打率4割4分5厘と打ち込まれている。
張本氏はバッターボックスで構える前に、一度、バットをゆっくり回しながらピッチャーのほうに向けるのがルーティンだったが、東尾氏はそれが苦手だったという。

東尾:
あれをやられたら、もう、ちょっと…(笑)。

徳光:
そうですか。

一方、野村克也氏との通算対戦打率は2割1分1厘としっかり抑えている。

東尾:
野村さんが生きていれば、「池永が攻め方を教えた」と言うと思うんです。「池永の子分やから、あいつまた体のほうに投げてくる」(笑)。

徳光:
そういうことなんでしょうね(笑)。

門田博光氏と落合博満氏…プロ同士の読み合い

徳光:
門田さんや落合さんとも対戦してますよね。このお2人はどうでしたか。

東尾:
この2人は本当に、どこを攻めればいいというのがないんですよね。

東尾:
特に落合なんかは、バッティングフォームで開いたりとか踏み込んだりとか、いろいろしてきますのでね。

東尾氏は落合氏との通算対戦打率が2割3分6厘と抑えている一方、門田氏とは3割0分4厘と比較的打たれている。

東尾:
門田さんは、バッターボックスでベースから離れたりとかして動くんですよね。そこら辺で、お互いの読み合いが…。

徳光:
そういうのがあるんでしょうね。門田さんのときには、投げる球数が多かったようですね。

東尾:
「もう勝負しませんよ」っていうふりをしたりしてましたね。例えば、スリーボールとかツーボールにしてから、キュって行くとか。そこら辺のことをやらないと、とてもじゃないけど、あの人にはもう…。

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/10/1より)

【後編に続く】

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