福岡・北九州市の特定危険指定暴力団「五代目工藤会」。そのトップの野村悟被告とナンバー2の田上不美夫被告が逮捕された、いわゆる「頂上作戦」から2024年9月で10年が経った。

組織の意に沿わない企業や市民に容赦のない襲撃を繰り返し、北九州の街を恐怖で支配していた「工藤会」。その“最凶”の暴力団に戦いを挑んだのは、警察組織だけではなかった。そこには有名無名の北九州市民がいた。そして、その先頭に立つ北橋健治・前北九州市長(71)がいた。

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あの攻防の最中、何を考えそして何を決断したのか。北橋さんが記した2760日間の日記を紐解きながら、その戦いの日々を辿る。

常に「命の危険」を意識

2024年夏。北九州市内を走る1台の車。「懐かしいね」と車から降りたのは、前北九州市長の北橋健治さんだ。2023年2月まで4期16年に渡って、市政の舵取りを担っていた。

この日、北橋さんが訪れた場所は、市長時代に自宅を離れ妻と暮らしていたマンション。「暴力団追放運動をするにあたっては、自宅ではセキュリティ上どうしても不安があるので、マンションに移り住んだ経緯があります」と語る北橋さんが当時、対峙していたのは、全国で唯一の特定危険指定暴力団・工藤会。“最凶”といわれた暴力集団だった。

北橋さんが記していた日記からは、当時、北橋さんが置かれていた厳しい状況が読み取れる。

■北橋日記(2010年4月30日)「久しぶりに全日休暇。安全も考慮し、外出を控えて自宅で静養する」

■北橋日記(2010年5月24日)「今夜も自宅周辺で警察官が警備にあたっていただいている。警察当局の連日の安全対策に感謝したい」

北橋さんが市長時代に綴った「北橋日記」
北橋さんが市長時代に綴った「北橋日記」

寝るときも常に命の危険を意識していた北橋さん。「旅行カバンに本を入れるんです。分厚い本なら50冊くらい入ります。それを枕元に立てて眠るんです。そうすると銃弾をある程度は、かわせるんじゃないかと。枕元でそんなこともやったな」と当時を振り返る。

自分の身だけでなく、家族の身も案じつつ市長としての日々を過ごした時代。「大変な事件の連続だった」と北橋さんは目を閉じた。

企業誘致に立ちはだかる“黒い壁”

「皆さま方の温かいお力添えの賜物でございます。ありがとうございました」。北橋さんが北九州市長に初当選したのは2007年2月。53歳の時だった。それまで5期20年に渡り、北九州市長を務めた末吉興一氏の引退を受けて行われた北九州市長選挙。三つ巴となった選挙戦を制したのが、元衆議院議員の北橋さんだった。初登庁の朝、市役所玄関に出迎えた約300人の職員を前に「いろいろ課題がありますし、天気晴朗なれど波高し。そんな気持ちです」と挨拶した。

当時、北九州市が抱えていた課題を北橋さんは振り返る。「鉄冷え、金融危機、リーマンショックへと続く不況の波に襲われて、北九州の経済、雇用状況というのは大変、厳しいものが1期目着任当時からありまして、いかにして企業の投資を増やすかが、最大級のテーマであったと思います。それだけにそれに水を差す、企業の投資が逃げていく、暴力と云う問題は『待ったなし』の解決すべき課題と認識しておりました」。

北橋さんが市長になった2007年、北九州の街では野村悟被告が当時、会長を務めていた「四代目工藤会」の犯行とみられる民間企業などを狙った発砲事件が続発していた。その年、北九州地区で発生した発砲事件は、8件を数えるほどだった。

「企業誘致」を重点目標としていた北九州市にとってこの問題は大きな障害となっていた。

北橋さんは、2008年の年始め、日記にこう記している。

■北橋日記(2008年1月22日)「福岡県警察本部首脳陣と本市の連絡会議。昨年の発砲事件で暴力の街という不名誉な印象を持たれ、残念に思う」

当時の北九州市の状況について元福岡県警の藪正孝氏は「工藤会は、福岡の指定暴力団の道仁会、太州会と『三社会』という連合体みたいなものを当時、つくっていた。それぞれの縄張りには手出ししない。お互い仲良くやっていきましょうと。太州会、道仁会は、工藤会の利権に手を出すことは100%ない。山口組とも五代目当時に取り決めがあって、山口組も北九州には手を出さない」

「よそが入ってこないわけですから、工藤会は自分の利益にだけ力を入れておけばいい。北九州市で襲撃事件が多発したのは、工藤会の意に沿わない事業者や市民が出てきたから。工藤会は他の暴力団を気にする必要がないから、それを叩こうとした」と語る。

北橋さんの日記には、街の暗い現実が記され続けた。

■北橋日記(2008年4月8日)「未明に八幡で銃器発砲事件。残念な事件だ。昨年12月に続いて、同じ家に2回目の発砲。安全安心を求める市民とともに捜査の進展を切に願う」

■北橋日記(2008年8月22日)「銃器発砲事件が八幡西区で昨晩発生。被害者は暴力団幹部。犯人逮捕に当局は頑張ってほしい」

企業に牙を剝く“最凶”暴力集団

そして2008年9月、北九州の企業誘致の先行きに決定的な打撃を与える事件が発生する。北九州市小倉南区のトヨタ九州の小倉工場にアメリカ軍も使う手榴弾が投げ込まれたのだ。

「(企業誘致のため)トヨタ自動車本社に何度も出向いて、当時、トヨタ自動車が大きな工場の建設を考えておられるという情報を得て、何度も本社に出向いて行った時に事件が起こりました。本当に愕然としました。北九州の受けた打撃というのは計り知れなかったと思います」と北橋さんは今でも悔しさを滲ませる。

事件当時、北橋さんは、日記にこう記していた。

■北橋日記(2008年9月18日)「市民社会への重大な挑戦であり、強い憤りを感ずる。本市のイメージダウンは、痛恨の極みである」

■北橋日記(2008年9月19日)「今日は、公休を取って市役所の年1回の定期的な健康診断を受ける。しかし、県警本部首脳の来庁の連絡を受け、急ぎ登庁し、トヨタ工場内爆発事件など一連の暴力団関係の捜査状況について報告があった」

工藤会は、なぜ企業をも標的にしたのか。元福岡県警の藪正孝さんは「正式には、清水建設は認めてないけど、平成15年(2003年)くらいに、関係企業を集めた席で『これから暴力団との関係は断つ』と云うようなことを宣言されたみたいです」

「それ以降、そういう姿勢をどんどん強めていって、工藤会はそれに対して拳銃の撃ち込みとか、放火とか繰り返しましたけど、それでも清水建設は意に沿わない。そうなると工藤会の発想からしたら元請け、さらには発注者を狙う。その頃から西部ガスとか九州電力、トヨタがやられだしたんですね。北九州に進出を予定していた大手企業数社が進出を取り止めたと。当時の市の幹部とかから聞いた話ですけど」と事件の背景には大手ゼネコン、清水建設の暴力団排除の動きがあったと述懐する。

凶暴さを増していく工藤会の襲撃。その裏には工藤会内部の変化が関係していた。2008年7月、四代目工藤会の総裁を務めていた溝下秀男氏が亡くなったのだ。溝下氏は、工藤会を西日本有数の暴力団組織に作り上げた人物で、野村被告が唯一、絶対服従を誓っていたといわれている。

溝下秀男氏と野村悟被告
溝下秀男氏と野村悟被告

元福岡県警の藪正孝さんも「工藤会が、最後の一線を超えたというかタガが外れたのは、溝下総裁の死が大きいでしょうね。唯一、野村会長(被告)にいろいろ言える溝下氏が亡くなってしまった。野村会長がトップとなり絶対になった。(野村会長の周囲は)イエスマンばっかりになった。そして何よりも、(野村会長は)北九州は自分の街と思っていたはず。そこで自分の意に沿わない人間は許しがたいと。そしてそれを止める人間が誰もいなかったというのが大きいと思う」と語る。

溝下氏の死を境に歯止めがきかなくなっていった工藤会。その一方で北橋さんは、その頃の日記にこう記している。

■北橋日記(2008年10月14日)「今日の東京日程は大手企業のあいさつ回り」

■北橋日記(2008年12月22日)「都内を朝から14時まで企業誘致、投資拡大の要請で企業経営者を訪問」

市の職員と企業誘致への道筋を地道に探っていたのだ。

また日記には「ハチ」という名前が頻繁に登場する。北橋さんと離れて暮らしていた愛犬の名前だ。

■北橋日記(2008年7月19日)「自宅で久しぶりに愛犬ハチの顔を見る。好物のカルビの骨をあげるが、うれしそうな雰囲気でもない。犬は、えさやりと散歩の回数を尺度に飼い主との距離をはかっているというが、昔の実績はカウントされないみたいだ」

時折、顔をあわせる愛犬は暴力追放運動の支えであり、公務の疲れを癒すかけがえのない存在だった。さらにスポーツを通じて北九州を元気にしたいという思いも綴られている。

■北橋日記(2008年2月17日)「東京マラソンに3万人。都心を快走のニュース。うらやましいイベントだ。市民参加型の『北九州市民マラソン』を関係局に提案したが、交通規制の面で困難であるというのが当局の見解と聞いた。それを何とかできないものか思案する」

■北橋日記(2008年3月20日)「ニューウエーブ(※現ギラヴァンツ北九州)の応援で鞘ヶ谷競技場へ。サポーターの応援団の一角に陣取って手拍子、声援、ため息、もうはらはらどきどきの90分、最後に勝利の女神が微笑んでくれた」

しかし北九州市の“冬の時代”が明ける兆しは一向にみえなかった。

■北橋日記(2009年8月14日)「またもや市内で発砲事件、暗澹たる気持ちになる。暴力団員は、別件で逮捕されても発砲事件については自供しないという」

北橋さんは「口に出して言わないにしても『北九州への投資は危ない』と多くの企業経営者は感じていたかもしれない。一生懸命、職員の皆さんと手分けをして企業誘致に全力を傾注していっていた、その矢先に今度は長野会館事件というのが起こったわけです」と当時を振り返った。

警察や行政をあざ笑う工藤会

「警察が、門の中の組員と対峙しています。門の辺りにはかなりの数の組員がいると思われ、緊張感が漂っています」と記者も緊張気味にリポートする。2010年3月12日、工藤会は、北九州市小倉南区に「長野会館」と名付けた組事務所を設置したのだ。

小学校などの敷地から200メートル以内の場所に組事務所の開設を禁じる県の「暴力団排除条例」施行の1ヶ月前だった。子どもにも危険を及ぼしかねないこうした工藤会の動きに、市民たちは堪らず、組事務所の撤去を求め立ち上がったのだ。

当時、長野会館に居座っていた工藤会の元組員も、わざわざ、あの時期にあの場所に組事務所を作ったのか疑問だったと当時を振り返る。「(工藤会にとってメリットは)ないでしょう。あるわけないでしょう。なんでこんなところに作ったのか。何を考えているか分からなかった」と困惑したことを述懐した。

さらに元組員は「初めてですね。あれだけの人が集まって…。カタギに嫌われて生きていける世界じゃないでしょう。ヤクザの世界が」と市民が工藤会に『NO』を突きつけたのを初めて見たと話した。組事務所の撤去を求めるパレードには、市民約500人が参加。そして、ついに工藤会側は、長野会館の看板を撤去したのだ。

しかし、工藤会の怒りは収まらない。矛先は市民に向けられる。事務所の撤去運動に参加していた自治会長宅に銃弾6発が撃ち込まれたのだ。北橋さんは企業誘致のため出張していた東京でこの事件を知ったという。事件翌日の午前、北橋さんは大企業2社の社長に直接、プレゼンをすることになっていたのだ。

市民に向けられた銃口

「朝起きると、小倉で銃弾が撃ち込まれた報道が、東京で何度も何度も繰り返しテレビ局が報道しているわけです。資料を用意していくんですが、企業誘致の有利性というものを説明した資料に『安全な街です』というところがあるんですね。これは自然災害が極めて少ないという意味もありますが、そこで…、ええ、もう、言葉が詰まってしまいまして…、どんなに北九州の良いところをPRしても、今朝の全国放送にあったような、一般市民の自治会の会長宅に銃弾6発を撃ち込むような暴力団があるのか、そういったなかで、どうやって企業誘致をすればいいんだと…、もう絶句して、もう本当に声が詰まって、恐らく少し泣いたかもしれませんね。もう社長さんの前で…。生活、経済、社会が、崩れていってしまう。そういうところに北九州はあったんではないかなと思いますね。だから丸腰で戦うことは、不安だけれども怖いけれども、やっぱりみんなで励まし合って頑張っていかなきゃいけないと。このままでは、この街がダメになってしまうという危機感が、その怖さを乗り越える力の一助になっていた気がします」

その思いは、その日の日記にも記されていた。

■北橋日記(2010年3月16日)「安全安心を求める市民社会への重大な挑戦であり、激しい憤りを覚える。決意をあらたに、暴追運動を前進させねばならない」

事件から3日後、北橋さんは当時の暴追大会で「市民に銃口を向けるこのような卑劣な行為に激しい憤りを感じます。絶対に負けてはいけないという気持ちで駆けつけてまいりました。卑劣なる行為には絶対に屈しない!暴追運動を進めようではありませんか!」と訴えた。北橋さんは、街の未来のため市民の先頭に立つ決心をしたのだ。

高まりを見せる暴追運動。しかし、市民の先頭に立ってすぐの2010年3月29日。北橋さんに覚悟が試される出来事が起きる。「市長や家族に危害を加える」「これは脅しではなく警告だ」と書かれた脅迫状が市役所に届いたのだ。

北橋さんが当時を振り返る。「自分自身に危害を加えるならば、これは私の決意で暴追運動やっているわけですから、それはそれとしまして、家族に対して危害を加えるぞという趣旨について、大変衝撃でした」。自身だけでなく家族までも標的だとする脅迫状。「プライベートに、外出は極端に減ったが、時々、近くにおいしい焼肉屋がありますので、時につつきに行ったことがあります。焼肉っていいですよね。ジュージュー焼いて、サンチュに巻いて、キムチ巻くともっとおいしいよって。それが家族へのささやかな感謝の気持ちです。それくらいしかできなかったな…」とかけがえのない家族への思いを北橋さんは語った。

脅迫状を受け取った翌日も北橋さんは市民の先頭に立った。この頃の北橋さんについて「素晴らしいなと思ってましたよ。工藤会が市民をいじめるから市長が動くのでしょう」と当時の組員も思っていたという。

元福岡県警の藪正孝さんも長野会館問題が起こる前と後の北橋さんについて「もう腹を決めたという印象は持ちました。もうこれで長野会館の問題でも、工藤会対策でも、もう腹を決めたという印象は受けました。24時間、北橋市長には警察官がついて警戒すると。異例でしょう。そういう市長の方は、私は聞いたことがない」と語った。

しかし試練は続いた。

(【後編】福岡県警「頂上作戦」へ続く)

(テレビ西日本)

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